「国王[スルタン]がオルバノスと呼ぶ1人の砲手がいた。彼はダキアの生まれで、以前はギリシャ人とともに過ごしていた[ビザンツ帝国に仕えていた]。より良い俸給を求めて、彼はギリシャ人の下を離れオスマン政府の王[スルタン]のところへ来た」
ウルバンの国籍ははっきりせず、ハンガリー人やドイツ人などいろいろな説が唱えられている。一つ分かっているのは、彼が自分の生国とは関係なく、FAで移籍するプロスポーツ選手のように高いサラリーを求めてオスマン帝国を訪れたことだ。彼の身分もまた不明ではあるが、大砲の製造にあたる職人だったことは間違いなく、従っておそらく貴族ではなく平民だっただろう。そしてこのウルバンのような存在が、実はジャンヌ・ダルクの活躍をもたらした背景にあったという。
もちろん貴族たちも火器の重要性は理解していたが、自分たちより地位の低いものたちに教えを乞うのは難しかったのだろう。一方、ジャンヌにはそうした障害がなく、彼らから価値ある情報を得ることができた。加えて彼女の若い年齢もプラスに働いた可能性がある。まだ新しい兵器である火器をどう扱うかについては、古い経験を持つ者ほど理解に時間を要しただろう。そうした先入観がないことがジャンヌにとっては有利に働いた。「今日の若者がコンピューターの技術と可能性を素早く把握している一方、彼らの両親が追いつくのに苦労している」のと同じだ。
オルレアン解囲の時点でジャンヌは17歳。他の貴族や指揮官たちの中には、アランソン(22歳)、ジル=ド=レ(24歳)、デュノワ(26歳)など比較的若いものもいた一方、ラ=イール(39歳)、ブサック元帥(54歳)、ルイ・ド=キュラン(69歳)など決して若くはないものたちもいた。社会的、年齢的な条件において、実はジャンヌはフランスの他の指揮官たちより有利だったというわけだ。
とはいえ、この条件が成立したのはフランス軍だけだった可能性は高い。上に述べたようにブルゴーニュでは歴代公爵が積極的に大砲の製造やその技術の発展に関与しており、おそらくその部下たちにも大砲に通じたものは大勢いたことだろう。英国も同様で、以前書いた通りヘンリー5世は大砲をうまく使って北フランスの中世式城郭を次々と陥落させていた。どちらに所属していても、ジャンヌの立場はそれほど有利にはならなかったかもしれない。大砲導入が大幅に遅れていたフランス軍だったからこそ、彼女が輝いた可能性はある。実際、砲兵戦力で不利だった場合に勝てなかったという彼女の実績を見るなら、その砲兵指揮能力は味方はともかく、敵と比べて特に突出していたわけではなさそうだ。
以上の仮説は、果たして本当に正しいのか。それを知るためには彼女以外の平民出身者がこの時代にどれほど活躍したかを見るのがいいんだろう。例えば15世紀半ばに欧州随一の砲兵隊を整備したフランスのビュロー兄弟"
https://en.wikipedia.org/wiki/Jean_Bureau"などは、商人の子供であり貴族とは無関係だったようだ。彼らはまさにジャンヌの後を継いで砲兵を活用し、フランスに百年戦争の勝利をもたらした平民だったと言える。
ただし、英国やブルゴーニュにおいて彼らに相当する人物がいたかどうかは不明。もっと詳しく調べてみなければ、このジャンヌに関する仮説の妥当性を判断するのは難しいだろう。
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