砲兵革命?

 前回紹介した「一連の軍事革命」論のうち、「歩兵革命」に関する議論に問題があることは指摘した通りだ。一方、同じ論文"http://ww2.valdosta.edu/~raboyd/docs/military.revolution.pdf"の中に紹介されている「砲兵革命」の方は一見してまともな議論に見える。大砲の発明によって中世式の城郭が姿を消し、ルネッサンス式稜堡に取って代わられたのは、おそらく間違いないだろう。
 「砲兵革命」とは、この論文によれば1420年代半ばに生じたものだ。1410年代の攻囲戦は半年あるいはそれ以上の時間がかかっており、それは「住民を降伏させたのがボンバードではなく飢餓だったから」(p263)。1420年代の前半になっても状況は変わらず、基本的に補給の途絶が中世式城郭を降伏に追い込んでいた。
 だが20年代半ばになると空腹ではなく大砲が城を落とすようになる。1423年に陥落したサント=シュザンヌは大砲によって城壁が叩き壊され(p264-265)、他にもル=マンなどいくつもの都市が短期間で陥落した。同じ時期にボヘミアでも「強力な城壁を壊す大きな大砲」(p265)が現れた。もちろんこの時期に長期間持ちこたえた城郭もあったが、それは特に強力な城郭が比較的弱体な敵に攻撃されたため。15世紀半ばには中世式城郭は簡単に落ちるようになった。
 ここから論文では「戦争技術の革命は1420年代から1430年代にかけて生じた」(p266)と指摘。その時期に大砲の進化が生じたことが原因だと説明している。一つは砲身が伸びたこと。それまで1~1.5倍だった口径長が、1430年代には3倍以上まで長砲身化し、それによって発射速度が増したうえに射程距離も伸びた。またその際に装填方法が簡便化したのもメリットであった(p267-268)。
 砲身が伸びたのは、砲腔内で爆発する火薬の衝撃に砲身が耐えられるようになったから。1420年の少し前に砲兵鍛冶が新しい大砲の製造方法を発展させた。樽"http://farm4.staticflickr.com/3047/2983111087_0ec58b1578_z.jpg"の側板のように鍛鉄の板を円筒状に並べ、さらに鍛鉄の輪を箍としてその周囲に嵌める。文字通り樽(barrel)を作るようなやり方で砲身(barrel)を製造するようになった。それ以前の、単純に鉄の板を丸める方法や、鉄の帯をコイル状に巻いて砲身を作るのに比べて大砲の強度が増したという(p269)。
 さらに同時期には鉄自体の製造法改善によって価格が低下。こうした流れに火薬自体の改善(コーニングの普及)が合わさって、最終的に「砲兵革命」につながった(p269-272)、というのが論文の主張だ。15世紀後半になるとさらに車輪のついた砲台、砲耳、鉄製の砲丸といったものが採用され、鍛鉄製から青銅製の鋳造砲へと大砲は変化していくのだが、論文ではそれよりも前の変化の方が重要だとみている。

 だがこの主張には反論もある。Andrade"https://books.google.co.jp/books?id=1jRJCgAAQBAJ"が指摘するのは、1420年代半ばより以前から大砲は常に城壁を叩き潰していた(p337-338)というものだ。彼は15世紀初頭に英軍やブルゴーニュの大砲が中世式の城壁を壊していた事例を数多く紹介している(p91-92)。その一例がノルマンディーのカーン。「強力なカーンの城壁は1417年9月に破られ、強襲によって奪われた」(p91)。
 この指摘が正しいかどうかを確認するうえで参考になるのは、カーン攻城戦について書いたこちらの本"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6470908h"だ。同時代人であるウォルシングハム"https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Walsingham"の書いた本"https://books.google.co.jp/books?id=xbFKAQAAMAAJ"などをソースにまとめている。そこには大砲の威力に関する記述がいくつか紹介されている。
 カーンを攻撃しようとしたヘンリー5世は、屋根や塔の上から敵の動きを見張ると同時に、大砲を設置して攻撃準備を進めた(p38-39)。そして実際に砲撃を始めると、砲兵の近くにあった「修道院のステンドグラスが[衝撃で]粉みじんとなった」(p41)。水平に設置された大砲は城壁に破口を作り、続いて角度を上げると家々をひっくり返した(p41-42)。
 防御側は夜間に壊れた城壁を作り直して抵抗を続けたが、破壊に追いつくことはなかった。あらゆる場所で城壁には大きな破口が生じ、内部には壊れて火災で黒ずんだ家しか残っていなかった。ポルト=オー=ベルジェ地区は完全に炎上していた(p45)。最終的に9月4日、英軍の強襲で町は落ち、残った兵は城館へと逃げ込んだ。ヘンリー5世は5日、ロンドン市宛に勝利の報告を記している(p82-83)。
 英軍が攻撃の準備を始めたのは8月16日"https://fr.wikipedia.org/wiki/Si%C3%A8ge_de_Caen_(1417)"、ヘンリー5世が到着したのは同18日だ(p38)。つまり半月ほどでカーンの中世式城壁は破られたことになる。1420年代よりも以前に、空腹や飢餓ではなく大砲の破壊力が原因で陥落した城郭が存在していたわけだ。
 それどころかもっと遡ることも可能だ。14世紀後半になって登場した大型砲が最初に使われた例としてAndradeが紹介しているのが、ブルゴーニュ公によるオドルイク城攻撃(p90)。そのソースになっているのはジャン・フロワサールの年代記("https://archive.org/details/chroniquesdejfro08froi"のp249-250、あるいは"https://books.google.co.jp/books?id=s6VBAAAAcAAJ"のp410-411)である。
 古いフランス語で書かれているため細部については分かりづらいところもあるが、現代英語訳がこちら"https://books.google.co.jp/books?id=UAL0SfuyUGQC"のp59で読める。それによるとブルゴーニュ公はオドルイクを降伏させるため「おそらく5発か6発の弾(quariaus)を撃った」。これらは砲撃の勢いで城壁を貫通し、守備側を動揺させた。さらに公は「200[ポンド?]の重さ(英訳では数となっているが原文はpesant)」の弾を撃ち出し、これも城壁を貫いた。オドルイクの守備隊は降伏したという。
 さらに砲兵革命を主張する論文が「新しい製造方法」としているbarrel方式も、実はそれ以前から存在したとの指摘がある。こちら"https://www.jstor.org/stable/984031"の論文には1375年に製造された大砲について「内部の筒は縦方向の棒で構成され、これらを固くフィットした鉄の輪で囲んでいる」(p158)との表現がある。まさにバレル式の製法だ。
 ソースとなるのはこちら"https://books.google.co.jp/books?id=ed8uE_9g6lUC"。オリジナルの史料に書かれていた文章を引用したうえで、それの意味するところがbarrel式製造法を記したものだと指摘している(p98)。この1375年にカーンで製造された大砲は、Andradeによれば初めて砲が大型化したことを示す最古の事例(p88-90)であり、その時点で既に樽と同じ製造法が採用されていたわけだ。14世紀終盤には攻撃側が防御側に対して優位に立ったとの主張もある("https://archive.org/details/archaeologiaael09unkngoog" p6)。「大砲革命」は1420年代ではなく、最初に大砲が大型化した1370年代から既に始まっていたのだ。

 たとえ大砲が中世式城郭を破壊できる力を持ったとしても、それが即ち軍事革命論、つまり軍事的な変革によって政治的社会的変革がもたらされたという説を証明するものではない。実際、DeVriesはこちらの論文"https://militaryrevolution.s3.amazonaws.com/Primary+sources/GunpowderEMState-MR.pdf"で、大砲の登場によって地方の権力が力を失い中央集権の流れが進んだという主張に疑問を呈している。
 彼の分析によればフランスやブルゴーニュでは、確かに最初は地方で製造されていた大砲がやがて中央の支配下に置かれるようになり、最終的には地方権力を潰すために使われるようになったという。だがイングランドでは異なる展開を見せた。英国が大陸に持つ拠点では大砲が王権の下に独占的に使用されていたのに対し、英国内では地方権力がその使用に箍を嵌められず、ばら戦争の時期になると王に反逆する側も大砲を使用した。時代が進んでも中央集権が進んだ様子がなく、火薬兵器のもたらした影響は軍事革命説通りには展開しなかったことが分かる。
 だが「砲兵革命」論の場合はそれ以前の問題。単純に革命が起きたとする時期と、実際の史料との間で整合性が取れていないという、何とも残念な主張なのである。15世紀初頭、いや場合によっては14世紀後半から大砲が中世式城壁を破壊する力を持っていたことを示す史料があるにもかかわらず、なぜ1420年代に砲兵革命が起きたと主張するに至ったのか。理由は分からないが、迂闊な主張のせいで論全体に対する信頼性が失われてしまっているのは否定できない。
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