その「一連の軍事革命」のうち、百年戦争時代に起きたのが「歩兵革命」と「砲兵革命」。前者は14世紀初頭、クルトレー(1302年)、バノックバーン(1314年)、モルガルテン(1315年)のように、長柄の武器で武装した歩兵が騎兵を打ち破ったところから始まった。11世紀以来続いていた封建騎兵の優位を、パイクなどの武器や飛び道具(英軍の長弓が一例)でひっくり返したこの歩兵革命は、さらに歩兵を構成する平民の政治的社会的地位向上までもたらした。
続いて「砲兵革命」が15世紀に花開く。中世の権力を支える大きな拠点となっていた中世式の城郭(高い城壁を持った防御拠点)は、それまで長期にわたる包囲によって飢餓状態にでも陥れない限り容易に陥落することはなかった。だが1420年代以降になると、それらの城郭が短期間でどんどん落とされる例が増える。その頂点と言えるのが、百年戦争末期のフランス軍によるノルマンディーの諸城郭攻略だろう。大砲によって英国の大陸拠点はあっという間にほぼ一掃されてしまった。
砲兵革命によって中世的城郭の力が失われたことは、国家内に残っていた封建的権力を叩き潰し、絶対主義的な国家が生まれることに大いに貢献した。特にそれによって国家統一が進んだのがフランスとスペイン(p273)。加えて大砲の大量運用は戦争の費用を増大させ、より規模の大きい政治体制にとって有利な状況を作り出した。こうした流れは16世紀にルネッサンス式稜堡が生まれ、砲兵に対抗する手段が整うまで続いたという。
まず16世紀はルネッサンス式稜堡に示される「要塞革命」が起きた。その後にRobertsらが最初に唱えた革命、いわば「火薬革命」が起きる。その後はしばらくグフタフ=アドルフが完成させた仕組みに則った流れが続くが、フランス革命によって軍の規模が急拡大する「ナポレオン革命」が生じる。次に来るのは鉄道の利用など産業革命によって生じた変化を受けた「陸上戦争革命」、そして20世紀に入って生まれた様々な発明品を活用した「戦間期の機械化、航空、情報革命」、最後に「核兵器革命」へと続いた。
陸上だけでなく海上でも軍事革命はあった。15~17世紀にガレー船から帆船へと主役が移行した「帆船と砲撃革命」、19世紀半ばから20世紀にかけて鋼鉄製の船が使われるようになった「海軍革命」がそうだ。全部で10の軍事革命が14世紀から20世紀にかけて次々と発生し、社会的政治的な変革をもたらし、西洋の軍事的優位という状況へとつながった。以上が「一連の軍事革命」論の概要だ。
もちろんこうした見解には批判もある。特に多くの人が注目し、議論の対象となったのは「歩兵革命」で、一例がTechnology, Society, and the Infantry Revolution of the Fourteenth Century"
http://connection.ebscohost.com/c/articles/13227282"という論文。そこではこの手の軍事革命論が「技術決定主義」であると批判。実際には歩兵が騎兵相手に勝利する以前に、既に欧州の経済成長率上昇を受けて平民の地位向上は始まっていたとしている。歩兵の活躍や封建騎兵の没落は「社会的変化の原因というよりは主としてその結果」というわけだ。
もし「一連の軍事革命」論が主張するように歩兵革命が最終的に西洋の軍事的優位をもたらす最初のきっかけになったのだとしたら、ではなぜ他の時代、他の場所にも存在した「歩兵の優位」がそうした結果をもたらさなかったのか、という疑問が生じる。例えば日本では鎌倉時代には騎馬弓兵が優位にあったが、南北朝から戦国時代にかけて足軽の戦力化が進んだ。しかし日本が西欧ほどの軍事的優位を世界に及ぼしたことはない。
個人的に「歩兵革命」から始まる10もの軍事革命という議論は、単純に「革命が多すぎる」と思う。そもそも10も存在するものが「革命」と呼ばれるほどのインパクトを持っていたと考えるのは、果たしていかがなものか。単純に軍事技術の改革がずっと続いていたと見るだけで十分だろうし、むしろAndradeのいう欧州戦国時代論のように、それをもたらした要因は何かを考えた方がよほど有意義だ。「一連の軍事革命」論は、単に革命の名前をつけて喜んでいるだけに見えてしまう。
また上記にも指摘があったように、歩兵の優位が復活しただけの現象を「歩兵革命」と呼ぶのは意味がない。それを認めるなら世界的に歩兵が優位にあった時代、場所では常に「歩兵革命」が起きていたと考えなければ辻褄が合わないが、そう考えることで歴史の理解が進むとは全く思えない。どうせやるのなら世界中の歴史を調べ、歩兵の優位が生じる条件を導き出す方がよほど面白い。
実のところ、この「歩兵革命」論が英語圏の一部とはいえ話題になったのは、自分たちの歴史を特別視したがるエスノセントリズムが背景にあったためではないかと、個人的には思う。論文著者がやたらとうれしそうに長弓の能力を説明している部分などが、おそらくは英語圏の一角を占める英国人のナショナリズムをくすぐったのではないだろうか。
思えばかつてはOmanの本などでも長弓についてバランスを失していると思えるほど長々と記述が行われていた。英国が世界の覇権国家だった時代にはそれがある程度通用していたのだろう。でも長弓が軍事的に成果を上げたのは西欧でもイングランドなど一部地域にすぎず、時代も限定的だ。そんな特殊な兵器をもとに歴史一般を論じようとするのは無理がある。だから最近の歴史的な議論では長弓を見かけることも少なくなっていた。
そんな中、一見もっともらしい「歩兵革命」という用語とともに長弓が復活してきた、ように一部の人には見えたのだろう。だから飛びつく人がいた。実際に最初の論文を見ると14世紀の歩兵革命だけでなく15世紀の砲兵革命の話もしているのだが、関心を集めたのは前者。googleの検索結果でも前者の方がヒット数が多い。まじめに歴史を論じたい人が触れているよりも、ナショナリズムに浮かれて言及している人の方が多数だったから、と考えてもおかしくはないだろう。
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