古い「火薬」

 これまで火薬が唐末期に発明されていたという史料に関する疑問を指摘してきた("http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55859997.html"や"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55973758.html")。真元妙道要略や鉛汞甲庚至寶集成の9世紀成立説は、実は怪しいのではないかという考えだ。加えて10世紀初頭の火薬兵器とされるものが、実は火薬兵器でない可能性もあると書いてきた。
 ではこれらの史料以外に、古い時期の火薬の存在を示す可能性がある史料は存在しないのだろうか。Chinese Text Project"http://ctext.org/"を使い、全文検索できる史料を対象に火薬というキーワードで調べてみた。すると唐代に書かれたとされる史料の中に「火薬」という文字が書かれているものが3つ発見できた。
 一つは「桂苑叢談」"http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=731585"という小説集。こちら"http://www.chinaknowledge.de/Literature/Novels/guiyuancongtan.html"によると著者は五代十国時代の馮翊子なる人物だが、彼が採録した話はその多くが晩唐時代のものだとされる。その冒頭に紹介される張辭なる人物に関する文章の中に「以爐火薬術為事」というフレーズがあるのだ。この話は太平廣記の巻75"http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=3121"にも収録されている(62/134)。
 次は清時代に編纂された「全唐詩」。880~907年頃の詩人と言われる唐求"http://baike.baidu.com/subview/236221/10252910.htm"が書いた「題王山人」という詩が巻724"http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=62643"に収録されているのだが、そこには「竈前無火薬初成」(151/153)という文言がある。
 最後に、同じ全唐詩に収録されている張籍"https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A0%E7%B1%8D"(767~830年頃)の贈閻少保にも火薬の文字が入っている。巻385"http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=62148"に収録されているその詩には「半俸帰焼伏火薬」(31/175)という言葉が見える。Chinese Text Projectで見つかった唐代以前の「火薬」はこの3つだ。

 しかしこの3例については、火薬史に関する研究者たちの誰も触れていない。なぜか。おそらく文脈を見るだけでこれらの「火薬」が黒色火薬でないことが分かるからだと思う。
 一番わかりやすいのは「題王山人」だろう。「竈前無火薬初成」という言葉は、普通に考えて「竈の前に火無く、薬初めて成る」と読むのが妥当。少なくとも「竈の前に火薬無く」よりはずっと意味が通る。この詩を黒色火薬の存在の証拠とみるのはさすがに拙い。
 それよりは面倒なのが「桂苑叢談」。ここにある「以爐火薬術為事」は、「爐を以て火薬術を為す事」とも、あるいは「爐火を以て薬術を為す事」とも読める。前者なら火薬の存在を示す、と解釈することもできそうに見えるが、よく考えればやはりおかしい。なぜなら黒色火薬を作る際に炉は使わないからだ。炉の中に火薬の材料を放り込んだりすれば派手に爆燃して終わり。それでは意味がない。
 一番わかりにくいのは「贈閻少保」の「半俸帰焼伏火薬」だ。正直、私には意味が取れなかったので、「張籍詩集校注」"http://demo.ebook.hyread.com.tw/bookDetail.jsp?id=10820"を参照した。それによると閻少保とは厳濟美という人物のことで、この部分は「此謂濟美勤於伏火燒丹、俸禄銷耗泰半、不以為意;舉家皆解養生之方」という意味なのだという。
 重要なのは「伏火燒丹」という言葉だろう。正統道蔵に収録されている本の中に伏火硫黄法などの文言が使われていた("http://jsmh.umin.jp/journal/47-1/182-184.pdf" p183)のは指摘済みだし、また煉丹術"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E4%B8%B9%E8%A1%93"では薬物を調合して「鼎炉にて火にかけて焼煉する」のが典型的な製造法だったという。つまり閻少保こと厳濟美は収入の半分を丹薬づくりに使っていた、というのが「半俸帰焼伏火薬」の意味だとみられるのだ。
 丹薬づくりのため火にかけることが多かったのなら、「桂苑叢談」の表現もわかりやすくなる。こちらもまた「爐を以て」丹薬を作っていたのだろう。つまり、黒色火薬登場以前に、火薬という言葉が「火にかけて作られた丹薬」という意味を持っていた可能性が窺えるのだ。

 以上から、唐代に見つかる「火薬」という言葉は、おそらく黒色火薬を示すものではないことが推測できる。明白に火薬の存在を示す史料の登場は10世紀前半というこれまでの推測と矛盾しない。やはり火薬の誕生は10世紀になってからではないかと、個人的にはそう思う。
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