全体的には「飛火=火薬兵器」派の方が優勢に見えるが、彼らの弱点は論拠としている虎經が904年より1世紀も後の史料であること。虎經に「飛火者謂火炮火箭之類也」と書かれているのは間違いないが、だからと言って904年の飛火が「火炮火箭之類」であるとは限らないし、それにそもそも虎經の「火炮火箭」が火薬兵器であるかどうかも明白な証拠はない。それらの名称は火薬発明以前から存在する兵器を表すものかもしれないのだ。逆にこれらの用語がこの時期に初めて登場するなら、それは新しい兵器を意味している可能性が出てくる。
では実際のところはどうなのか。まず予想できるだろうが、「火箭」という兵器は当然10世紀より前から存在していた。例えば三国志巻3"
https://archive.org/details/06079869.cn"には魏略曰として「昭於是以火箭逆射其雲梯」(90/141)という記述がある。もちろん三国志の時代に火薬は生まれていない。従ってここに出てくる火箭は、普通に火矢を意味していると考えて問題ないだろう。
唐初期にも使用例が出てくる。藝文類聚の巻50"
http://ctext.org/text.pl?node=545265"に載っているある人物の墓碑銘には「朝飛火箭、夜聳雲梯」という言葉があり、これも火矢を示すものとみていいだろう。7世紀に成立した書物に出てくる火箭を火薬兵器と解釈するのは無理があるし、また火箭という言葉が三国志以降も継続的に使われていたことも分かる。以上から「火箭之類」が字面だけで火薬兵器を意味すると解釈するのが困難であることは自明であろう。
そして904年の記録に出てくる「飛火」だが、実はこちらにも火薬発明以前の使用例がある。通典の兵5"
http://ctext.org/text.pl?node=560934"がその事例で、そこには敵の火攻めから門を守る方法として芝草を積み上げて泥を厚く塗ることで「防火箭飛火」になるとはっきり書かれている。「飛火」が「火箭」と並んで書かれていることを踏まえるなら、「飛火」とは可燃性のものを投石機などで飛ばすことを意味していると考えてもおかしくない。
だがここで出てくる「火箭」がただの火矢でないことは分かるだろう。ただの火矢ならわざわざ試験などしないであろうし、衣物や束帛を下賜することもない。この「火箭」がそれまで存在しなかった何らかの新しい兵器であったからこそ、戦争で使われたわけでもないのにわざわざ史書に特筆されたと考えられる。そこに火薬の文字はないが、字面よりも文脈を見るなら、これが火薬兵器である可能性は十分にある。
より明白なのは宋史巻197にある咸平3年(1000年)の記録だろう。そこには「神衛水軍隊長唐福献所製火箭、火球、火蒺藜」という言葉がある。武経総要に「引火毬」や「蒺藜火毬」という兵器が登場しており、それらはいずれも火薬を使った兵器だ。もちろんこれも時間を遡って解釈を適用する点では「飛火」と同じだが、やはり新たな兵器として製造したものを献上したという点で970年の「火箭」と相通じる特殊性がある。火薬兵器の可能性は高いだろう。
これらに加え、10世紀後半から日宋貿易で硫黄が流通していたと見られる文献が存在することも踏まえるなら、宋代に入って火薬が兵器に使われるようになったのはおそらく確かだろう。11世紀になれば武経総要という明白な証拠が出てくるが、そこから遡る場合は10世紀後半までにしておくのが安全だと、個人的にはそう考えている。
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