ベルギー古地図

 グルーシーの話を色々と書いたので、ついでに当時のベルギーの地図についても紹介しておこう。
 有名なものとして、オーストリアの統治下にあった1770年代に作成されたフェラリスの地図"https://fr.wikipedia.org/wiki/Carte_de_Ferraris"というものがある。カラフルな色合いの華やかな地図で、最近も製本"http://www.act.public.lu/fr/cartographie/cartes-histo/"されて売り出されている。
 ネット上で確認したければ、ベルギー国立図書館のサイトであるBelgicaに、フェラリスの地図を閲覧できるページ"http://belgica.kbr.be/nl/coll/cp/cpFerrarisCarte_nl.html"がある。ただ地図を表示するウィンドウが小さいのが難点。同じ機能を持つページなら、むしろこちら"http://www.ngi.be/FR/FR1-4-2-3.shtm"の方が地図表示ウィンドウが大きく、見やすい。
 ただし、どちらの場合も一部のエリアで拡大すると画像が壊れる現象が起きる。例えばWavreの南にあるCour St. Etienneなどがその例だ。グルーシーの動きを追いかける場合は重要な場所になるため、できれば何とかしてほしかったところ。また細かい範囲ごとに分けられているため、全体を見渡したい場合には難しい面もある。
 ベルギー南部のワロン地方だけなら、エリアを分けずにまとめて見ることができるページ"http://www.arcgis.com/home/webmap/viewer.html?webmap=936300931f49458d989587a59692cf38"もある。ただし壮絶に重い。拡大してもしばらくは荒いドットと睨みあうことになる。また一般的なネット地図と異なり、地名を記した文字はかなり拡大しないと読めない状態になっている。拡大してみたら見当違いの場所だった、という問題も時々生じる。

 ベルギーにおける古い地図の一覧はこちら"http://www.ngi.be/FR/FR1-4.shtm"で確認可能だ。18世紀末から19世紀初頭にかけては、フェラリスの他にも色々な人が地図を作成していたことが分かる。その中でもフェラリス同様にワーテルロー戦役において重要なのはルイ・カピテーヌが作った地図だ"http://www.ngi.be/FR/FR1-4-24.shtm"。
 ワーテルロー戦役ではどうやらこのカピテーヌの地図も帝国軍によって使用されていたらしい"http://www.1789-1815.com/wat_presentat.htm"。ただしこちらはフェラリスほどしっかりとしたものをネット上で見るのは困難。とはいえ全く見られないわけではない。こちら"http://www.fleurus-tourisme.be/fr/cartes-et-plans/cartes-anciennes-de-la-region-de-fleurus"にはフルリュス周辺の古い地図が数多く収録されているが、その中にカピテーヌの地図"http://www.fleurus-tourisme.be/images/OCTFleurus/images/carte_rares/Grand_atlas.jpg"もある。拡大すればLa Haye SainteやLa belle Allianceといった文字も確認できる。

 一方、Gallicaには上に紹介したほど詳細な地図は見つけられなかった。フランス統治時代のディール県の地図"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b84945527."はあったものの、細部はそれほど詳しくないし、ワーテルロー戦役の北半分しかカバーしていない。リニーやキャトル=ブラについて知りたければ他の地図を探すしかない。
 むしろワーテルロー戦役そのものの地図を見たほうがいいかもしれない。例えばこちら"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b52505151z."。グルーシーが動き回った地域についても、ルーズのような一部遠方の地名を除けばかなりカバーされている。大雑把な位置を掴むには適当かもしれない。
 ただし、この地図を見ているとリニー及びワーヴルの戦況図に違和感を覚える。リニーではサン=タマン周辺にフランス第3軍団が展開しておらず、代わりにプロイセン軍がそこに腰を据えているのだ。またワーヴルではリマールやリムレットにフランス軍が存在せず、逆にワーヴル上流のバス=ワーヴルからフランス軍が渡河したように描かれている。こちらの図"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b84414819."を見れば、よりはっきり分かるだろう。
 現実にはサン=タマンにはヴァンダンムの第3軍団が布陣していたし、フランス軍が最初にディール川を渡河したのはリマールだった。こちらのページ"https://www.clausewitz.com/readings/1815/MapsAndDocs.htm"にあるリニーやワーヴルの地図を見れば一目瞭然である。Gallicaに載っている戦役地図は間違っていると考えるべきだろう。
 最初に紹介した英語の地図が出版されたのは1816年。おそらくその時期にはプロイセン軍の動きについてまだ詳細が知られておらず、いい加減な知識のまま両軍の位置が書き込まれたのだろう。2つ目のブリュッセルで出版された地図については出版年が不明だが、こちらも相当古い時期だと思われる。一般的には古い史料ほど当てになるものだが、そうでないものも存在することが分かる。
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