承前。de Witは一連のフランス軍の失敗について、そもそもの始まりはリニーの戦い直後にあったとしている。プロイセン軍の追撃も、また十分な偵察も行わず、敵は2日はまともに戦えなくなったと判断したことで、プロイセン軍との間に決定的な遅れが生じた。遅れて始まった偵察も見当違いの方向で行われ、結果としてプロイセン軍主力の位置特定に失敗している。グルーシーもまた、ワーヴルの敵を特定する直前までラ=シーズ方面にプロイセン軍がいると思い込むなど、間違った認識を持ち続けていた。
これらの情報を帝国司令部が受け取ったのはいつだろうか。ナポレオンがネイに宛てて午前8時に口述した命令の中では、プロイセン軍が壊走しパジョル将軍がナミュール及びリエージュへの街道上を追撃していることが記されており(p1)、次いで午前9時から10時の間に書かれたダヴ―への手紙の追伸部でパジョルの直近の報告がマジー発であることに触れている(p4)。内容的に見て、前者の時点ではおそらく午前3時の報告しか届いておらず、大砲奪取後の報告は後者の前に到着したのだろう。
グルーシー側にもおそらく問題はあった。彼がパジョルの正午の報告を受けたのは、おそらくジェラールとともにリニーにいた時間帯だろう。既にジャンブルーへ向かうようベルトラン命令を受けていたのだから、その情報をパジョルに伝えるべきだった。だがグルーシーはそれを伝え損ねた可能性がある。もしその情報を知っていたなら、ジャンブルー方面に敵がいると聞いたパジョルがマジーまで引き返すことはなかっただろう。
そしてルーズ方面にパジョルがいれば、エグゼルマンはもっと積極的にプロイセン軍の追跡を続けられたかもしれない。実際にはグルーシーがナポレオンへの報告(p8-9)に書いた通り、エグゼルマンはソヴニエールからワレン方面だけでなくペルウェ方面にも偵察を出さなければならなかった。ペルウェ方面をパジョルに任せられたなら、もっと多くの兵をワレンに差し向け、結果としてこの方面についてよりしっかりとした偵察ができた可能性はある。
そもそも一度はプロイセン第3軍団を発見しながら、日中に彼らの行方を見失ってしまったことが、グルーシーにとってはかなり致命的だった。その意味では敵と接触していたエグゼルマンの責任は大きい。もちろん彼の部隊は追撃向きの軽騎兵ではなく竜騎兵だったが、それでも接触する努力はすべきだった。にもかかわらず午後5時から6時にかけてソヴニエールに到着した後、彼はそこで足を止めてしまう。その理由が、ペルウェ方面にいるかもしれない敵を警戒したことにあったのだとしたら、パジョルの不在は結構大きな意味を持っていたことになる。
ソヴニエールからラ=バラークまでは現代の地図で15キロほどはかかりそうで、17日のうちにそこまでたどり着くのは困難だろう。だが史実でボヌメンがトゥランヌまで進みながらそこからエルナージュへ退却を強いられたのに比べると、より多くの兵力で進んでいればプロイセン軍後衛部隊と小競り合いをしても簡単に退くことなく敵の動きを観察できたと思われる。うまくすれば日付が変わる頃までにプロイセン軍の集結地点がワーヴル方面である可能性をグルーシーに報告できたかもしれない。
そうなっていれば、グルーシーの対応もおそらく変化しただろう。彼は敵の動向が分からないため、17日夜の時点では翌日の出発時刻を(夜明けより2時間も遅い)午前6時とし、おまけにワレンまで前進したところでそこで長時間にわたって足を止めている。もし朝からワーヴルを目的地としてまっすぐ進んでいたらどうだったか。ジャンブルーとワーヴル間は現代の地図で20キロ弱。時速2.5キロだと8時間かかる。夜明けと同時に出発していれば、正午にはワーヴルに到着できた計算だ。
ただ、これだけ仮定に仮定を重ねてグルーシーにとって都合のいい状況を作っても、なおプロイセン軍がワーテルローに到着すること自体を防げないのは確かだ。どうしても追いつけない部分は、結局最初に述べているようにリニーの戦い直後にフランス軍が陥った無為が原因。それをグルーシーの努力だけで埋めることはおそらく不可能であろう。
結果を知っている我々は、なぜリニーの直後から追撃を行わなかったのか、せめてもっと幅広く偵察をしていればと考える。だがナポレオンの感覚的には、リニーの勝利がそれによってブリュッセルまでたどり着く道が開かれたと確信するに十分だったのかもしれない。そしてあれだけ多くの戦いを経験してきたナポレオンの感覚を後知恵だけで否定するのは、さすがにちと躊躇われる。
もちろんその感覚は間違っていた。だからこそナポレオンは人生最大の敗北とセント=ヘレナへの島流しという恰好でその咎めを受けた。グルーシーはそのとばっちりを被ったに過ぎない。彼自身の敗北に対する責任が皆無というつもりはないが、やはり責任の大半はナポレオンにある。それも「無能な人物を登用した」というタイプの責任ではなく、もっと直接的に「リニーの勝利を過大評価し、プロイセン軍の能力を過小評価した」ことが要因だ。
そう考えるなら、やはりたった1回の戦役でグルーシーが無能だと決めつけるのは問題がありそうだ。
コメント