内在か外在か

 栄枯盛衰、歴史においては様々な主体の間に差がつくことがよくある。そうした差がなぜ生じたのか、いつ生じたのかといった問題は多くの人々の関心を集めるようだ。例えばポメランツの大分岐"http://press.princeton.edu/titles/6823.html"。欧州と東アジアとの差について論じたこの書物は、産業革命の主な要因が外在的であると指摘した点で「なぜ」の部分についてもきちんと論じているが、後の議論に一番インパクトを残したのは「いつ」の部分ではなかろうか。
 それ以前によく見かけたのは1500年頃を境とした議論だ。大航海時代が始まり、中世から近代へと明白に移行したこの時期が、欧州とそれ以外との差がつき始めた時だとする見解は、昔はおそらく当然と思われていた。1981年に出版されたヨーロッパの奇跡"https://books.google.co.jp/books?id=rJiKbrZcijAC"は1400年から1800年の時期を分析対象としているし、軍事革命論"https://en.wikipedia.org/wiki/Military_Revolution"も、1800年よりは1500年に近い時代に関心を振り向けている。
 だがポメランツ以降になると様相が変わってきた。一例が以前も紹介したイアン・モリスの社会発展指数"http://ianmorris.org/docs/social-development.pdf"。彼が作り出したこの指数によれば、1500年当時の西洋の指数は33.35、東洋は39.20で、まだ東洋の方がずっと上だ。それが1800年になると西洋50.63、東洋49.78と逆転し、それから100年後には急速に差がつくようになっている。
 これまで紹介してきたAndradeの議論"http://press.princeton.edu/titles/10571.html"も、ある意味で同じ。経済面ではポメランツが1500年より1800年が重要と説得力のある説明を提示したが、軍事面でも状況は同じというのがAndradeの考え。1500年頃に見えた西洋の優位はあくまで「小分岐」に過ぎず、本当の大分岐は19世紀に訪れたというわけだ。

 逆に言えば産業革命以前の東西の差は、たとえ差があったとしてもドングリの背比べレベルでしかなかったことになる。もちろん農業社会が中心だった時代にも馬匹の導入や火薬兵器の発展といった要因からInner ZoneとOuter Zoneの間で差が生じてはいたのだが、それらの差は1500-1800年の東西の差同様、産業革命後の格差に比べれば小さなものだったということだろう。
 ただし、人類社会全体まで視野を広げると、ドングリどころではない差をつけられていた場所もあった。ユーラシア及びアフリカ北部といういわゆる「旧世界」を除いた地域、特に大航海時代以前には旧世界とほとんど接点のなかった南北アメリカ及びオセアニアがそうした地域だ。
 洋の東西といった旧大陸内部ではなく、大陸「間」の差に着目するなら、それが生じた時期は産業革命期ではなく、むしろ農業革命期に遡るべきだろう。いわゆる新石器革命"https://en.wikipedia.org/wiki/Neolithic_Revolution"の時期こそ、大陸間に差がつけられた時期であることはダイアモンドが「銃・病原菌・鉄」"http://www.jareddiamond.org/Jared_Diamond/Guns,_Germs,_and_Steel.html"で詳細に説明している。
 そこで影響したのは大陸の形状やそれぞれの地域の自然環境、具体的には各大陸に生息していた動植物の種類だ。ポメランツが西洋の産業革命を外在的な要因でほぼ説明できると主張したように、ダイアモンドも外在的な環境要因こそが大陸間の格差をもたらした原因だと考えている。domesticationの能力はホモ・サピエンスに遍在していたが、対象となる動植物には地域ごとに差があったのだ。
 実際には新石器革命を代表する農業の起源にしても、旧大陸がおよそ1万年前であるのに対して新大陸はせいぜい5000年程度までしか遡れないなど、時期的なずれも大きい"https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Centres_of_origin_and_spread_of_agriculture.svg"。なぜこうした時期的なずれが生じたのかまでは私には分からないが、そうしたずれも環境要因(栽培植物化しやすい植物があったか否か)が原因なのかもしれない。

 さらに遡ると、ホモ・サピエンスとそれ以外のホモ属との間に生じた差も気になる。だがこれになると理由は一段と分からない。例えばネアンデルタール人を滅亡させたのはヒトとイヌだとする主張もある"https://www.amazon.co.jp/dp/4562052597"が、ネアンデルタール人の絶滅(近くて2万8000年前)とイヌの家畜化が進んだ時期(1万5000年前頃という説が多い)を考えると成立しない可能性もある。
 ヒトの繁栄は長距離移動に特化した能力を持っていることが理由だとの指摘も見かける"http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000012831/"。ホモ・サピエンスに比べてネアンデルタール人は長距離走るのが苦手だった"http://phys.org/news/2011-02-early-humans-won-neandertals.html"との研究もあるので、もしかしたらそのあたりが両者の生き残り能力に関係したのかもしれない。
 ホモ・サピエンスが新石器革命以前に南極以外の全大陸に進出していたのに対し、ネアンデルタール人がユーラシア西部にとどまり続けたのを見ても、domesticationの能力以外に彼らの間に差をつける要因があったと考える方が辻褄が合う。長距離走の能力がヒトの進化に影響を及ぼしたという仮説"https://en.wikipedia.org/wiki/Endurance_running_hypothesis"は最近よく聞かれるようになってきており、論拠の1つにはなり得るのではなかろうか。

 ホモ・サピエンスを勝たせたのが長距離を走る能力だったとして、それは彼らが進化したアフリカという土地がもたらした外在的なものと見るべきだろう。進化をコントロールする能力は生物にはない。次の新石器革命もまた外在的な要因が大きかったのは否定できない。このうえ産業革命まで外在的要因で説明できるとなると、人類の歴史で生じた「差」というものは、そのほとんどが環境によって説明できてしまいそうに思える。つまり運次第ってことだ。
 もちろん個人単位で見ればそんなことはあるまい。努力の違いなど内在的要因も働いただろう。だが集団が大きくなり、様々な種類の個人を含む単位で見るようになると、どうしても内在的要因より外在的な環境の方が影響力を増す。サイコロをたくさん振れば期待値に近づくのと同じ現象だ。
 いやむしろ我々人間の側に、外在的要因より内在的要因を重視したがる認知バイアスがあると考えるべきなのかもしれない。多くの場合、成功者は広く褒めたたえられるし、その成功は本人の能力や努力に由来すると思われることが多い。実際には環境とか幸運がもたらしたものであっても、その栄誉を本人に帰属させる事例は数多く見られる。世間の評価については、それがいいものであれ冴えないものであれ、あまり過大に捉えない方がよさそうに思える。
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