スペインの火器・下

 英のEU離脱のせいで1回延びてしまったが、改めてスペインの火器の続きを。

 ChesneyがObservations on the past and present State of Firearms"https://books.google.co.jp/books?id=KCZYAAAAcAAJ"の中で紹介している古い事例はやたらと数が多い。だが調べてみると、その多くは1118年のサラゴサ同様にConde本にtruenoと書かれているものをそのまま「大砲」と解釈しているのが目立つ。
 例えば1156年、ボナ近くのモハディアをムーア人の王が攻撃し奪った時(Chesney, p42)については、Condeの2巻"https://books.google.co.jp/books?id=wsujrEa3zlMC"に「南の海側からのtruenos」(p353)が使われたと書かれている。だがtruenosという言葉のみで大砲が使われたと判断するのは早計であることは既に指摘した通り。Condeの英訳本2巻"https://books.google.co.jp/books?id=9WoIAAAAQAAJ"を見ても、該当部分を大砲とは訳していない。
 1280年のコルドバも同じだ。Conde3巻"https://books.google.co.jp/books?id=KwBTf_gyBusC"には「多くの機械及びtruenosとともに町と戦った」(p70)とある。英訳本3巻"https://books.google.co.jp/books?id=HGsIAAAAQAAJ"では「雷鳴を打ち出すことが可能な戦争の機械と装置」(p184)と翻訳されているが、やはり大砲の文字はない。19世紀にはtruenoの文字だけで大砲と判断する人がいる一方、それに異論を唱える人の両方がいたわけで、必ずしもtruenoイコール大砲が定説だったわけではない。
 14世紀初頭のジブラルタル攻撃もしかり。こちら"https://books.google.co.jp/books?id=qHwNAAAAQAAJ"に掲載されているCondeの本のレビューには「フェルディナンド4世が1308年、ジブラルタル攻囲の際に使用した大砲について、ムーア人の著者が言及している」(p9)とある。だが該当部分のCondeの記述は「truenosの機械」(3巻、p89)、英訳本では「遠方から投じる機械」(3巻、p207)となっており、大砲とは書かれていない。ちなみにジブラルタルはアラブ風にゲバル=タリク"https://en.wikipedia.org/wiki/Gebel"と書かれている。
 1325年のバザ攻撃になるとさらに史料が増える。まずCondeでは攻城兵器が「嵐の中の光に似た大きなtruenosとともに炎の球を投じた」(3巻、p111)としている。英語版では「機械の中のいくつかは炎の球を投じ、抗えない嵐に似た雷鳴と稲光を響かせた」となっており、trueosは雷鳴と直訳されている。いつものパターンだ。
 しかしバザの戦いについてはCasiriの書いたBibliotheca Arabico-Hispana Escurialensis"https://books.google.co.jp/books?id=QvhfAAAAcAAJ"の中にも言及がある(p7)。複数の史料があるためか、例えばこちら"https://books.google.co.jp/books?id=VOFfAAAAcAAJ"ではCondeとCasiriの両方を示しながらスペインで早い時期から砲兵の利用があったとしている(p423n)。こちら"https://books.google.co.jp/books?id=QBRGAQAAIAAJ"にもCasiriが論拠に示されている(p399n)。
 だがCasiriの(アラブ語からラテン語への)翻訳は間違っている、とHime"https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=wu.89089975122"は指摘する。「大きな騒音とともにナフサ及び球を送り出す機械を撃った」とあるのは一部に余計な言葉が追加されているためで、正確には「熱く(燃える)球(の中にある)ナフサを送り出す機械」(p100)になるそうだ。ナフサを火薬だと解釈すれば前者は銃砲とも読めるが、後者は火薬を詰めた弾丸を投石機で撃ち出したと読む方が素直だろう。つまりこれもまた大砲の証拠にはならないのだ。
 バザの翌年、1326年のマルトスの戦いも、これまたCondeのtruenosが論拠となっている。「truenosの機械による絶え間のない炎」(3巻、p112)でマルトスが攻撃されたことが書かれている。英訳本だと「轟音を轟かせる機械からの休みない炎で攻めた」(3巻、p231)だ。Partingtonはバザとマルトスの戦いで使われたのはバリスタ"https://en.wikipedia.org/wiki/Ballista"から射出されたある種の爆弾で、おそらく火薬が入っていたと推測している("https://books.google.co.jp/books?id=fNZBSqd2cToC" p192-193)。要するに大砲ではない。
 Chesneyが示している例の中で最も新しい年に当たるのがタリファでの1340年の使用例。欧州の他地域でもこの時期には間違いなく火器が使われていたので、これが事実だとしても別におかしくはないのだが、Condeによれば「ナフサとともい大きな鉄の球を送り出す機械及びtruenosの装置」(3巻、p133)が使用されたという。英訳も「とりわけ大きな鉄の球とナフサをともに投じる雷鳴の装置」(3巻、p254)とほぼ直訳。だがPartingtonは「同様に」バリスタから撃ち出される鉄の球とナフサがもたらす火炎のそれぞれが効果をもたらしたのであって、「火薬によって大砲から砲弾が撃ち出されたことは確信できない」(p193)と慎重だ。

 Chesneyが紹介している例のうち、Conde本の英語版翻訳者もまた大砲を示す記述ではないかと考えている例は、ざっと見た限り1つだけ。1157年ではなく1257年のニエブラがそれだ。この戦いについて翻訳者は「雷と火」(3巻、p152)を撃ち出したと書いたうえで「ムーア人が現代戦の実行に本質的に影響する秘密[つまり火薬の秘密]を掴んでいた可能性は高そうに見える」(p152n)との見解を述べている。原著の表現はtrueno con fuego(3巻、p42)だ。
 だがPartingtonは違う見方をしている。彼は1331年のアリカンテの戦い(この事例自体はチヴィダーレの戦い"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55798435.html"と同時期であり、欧州最古の大砲とは言い難い)について触れたZuritaのAnales de la Corona de Aragon"https://books.google.co.jp/books?id=-qyhXbIEF64C"の中に出てくる同じcon fuego(p99)という表現について「『炎を用いて』を意味する」と解釈する研究者がいることを認めたうえで「正しい翻訳は『炎のほかに』」(p191)だと指摘している。前者なら大砲とも解釈できるが、後者であれば可燃物や砲弾を投石機で撃ち出したと考える方が辻褄が合いそうだ。
 つまるところChesneyが紹介している事例の大半は、単に轟音を意味するtruenosをそのまま大砲と翻訳したか、もしくは旧式の攻城兵器を使って可燃物や火薬を放り投げたとも考えられる描写を火薬で砲弾を撃ち出したものと見なしたか、そのどちらかである。後者はともかく、前者をいきなり古い大砲使用例と解釈するのは、いくらなんでも安直に過ぎるだろう。それ以外の部分でも引用に誤りが多いことを踏まえるなら、Chesneyの本はこの件に関しては信用しない方がいい。
 それではスペインで最初に大砲が使用されたのはいつだったのか。残念ながらよくわからないが、イスラム圏ということならNeedhamは「1365年から1376年の間にアレクサンドリアで金属製の大砲が鉄の球を撃った」("https://books.google.co.jp/books?id=hNcZJ35dIyUC" p44)事例が間違いのないものだとしている。それ以前については結局のところ曖昧か証拠不十分という考えだろう。
 少なくとも西欧における最古の火器使用例がスペインにあるという話については慎重に構えていた方がよさそうだ。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック