ChesneyがObservations on the past and present State of Firearms"
https://books.google.co.jp/books?id=KCZYAAAAcAAJ"の中で主張する「スペインでの古い大砲使用例」は、1118年のサラゴサだけにとどまるものではない。14世紀前半になれば欧州に火器が到達したのは明らかであるが、それ以前にも大砲があったとする例を彼はいくつも挙げている(p42-43)。だがそれぞれについてどのようなソースに基づく主張なのかは示していない。
英語でサラモニカと名付けられたカルヴァリン砲についてgoogle bookを調べてみても、Chesneyよりも古い言及は見当たらない。一方でスペイン語ならもう少し古いのもある。前回も紹介したこちらの本"
https://books.google.co.jp/books?id=WTpkAAAAcAAJ"の中に、確かにculebrina Salomonicaという言葉が入っている。1132年に鋳造された4口径の銃砲で「マドリードにその記録が存在するが、その存在が事実かは分からない」(p17)というのがその内容だ。
それだけではない。19世紀半ばになると「サロモニカ」そのものとは言わないが、それと同時代の大砲がどこからかマドリードの大砲博物館に姿を現すようになる。1856年に出版された同博物館のカタログ"
https://books.google.co.jp/books?id=rXlPzStRkCEC"に、3264というナンバーを記された大砲の説明が掲載されている。曰く「言い伝えによれば[中略]1118年に行われたナヴァラのサラゴサ及びトゥデラ攻略に使われた鍛鉄製のロンバルダ[ボンバルダ]砲身1本」(p343-344)。そして脚注には12世紀に火器が存在していた論拠としてCondeの本、1132年に鋳造されたと言われるサロモニカの存在などを記している。
そもそもロンバルダと呼ばれた大砲は、カーニャと呼ばれる砲身部分と、レカマラと呼ばれる薬室部分に分離できるのが特徴だった(p344n)。上に紹介したwikipediaにもそうした指摘はある。実際、このナンバー3264は砲身部分だけであり、3265(1259年に使用とされる)と3266(同1309年にジブラルタルで)も同じ。一方で3267は薬室部分のみがあり、実際に分離して使用できるものが博物館に収蔵されていたことが分かる。
19世紀のスペインの歴史家Duroは、Disquisiciones nauticas"
https://books.google.co.jp/books?id=CmYFAAAAMAAJ"の中でこのカタログに触れ、ナンバー3266と3246(1342年に使用したとされる)はその起源を裏付ける論拠を述べておらず、3265については3264同様に言い伝えしか論拠を示していないと手厳しい指摘をしている(p17n)。いずれも古い時代に存在していたことを立証するには証拠不十分だと考えるべきだろう。
それにしてもChesneyによる紹介はここでもいい加減だ。彼はサロモニカについて「4ポンド口径のカルヴァリン砲」culverin of 4-lb. calibreと呼んでいる。だがスペイン語で書かれた文章では「4口径」calibre de a cuatroとしか書かれていない。ここで言われる「4口径」とはつまり口径長"
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E5%BE%84"を意味すると考えられる。Chesneyがなぜ「ポンド」という重さの単位を付け加えたのか、理由は分からない。
それ以外にもChesneyは多くの事例を示している。それらについて言及すると長くなるので大半は次回に回すとしよう。ただ、彼が紹介しているもののうち、具体的な地名が出てこない1249年にエジプト人が描写したという記録、あるいはサラセン人の歴史なる書物に紹介された1291年の事例については、実のところ詳細は不明だ。そもそもそこに出てくる著者たちの正体がよくわからない。
Chesneyの指摘の妥当性についてはもう少し調べてみるので以下次回。
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