ランヌの死 反応

 ナポレオン漫画最新号、今回はランヌの話、だったんだがその一方でさりげなくビクトル復活の話を盛り込んでいた。それにしてもランヌも遂に退場か。カブトムシの幼虫を食べていた時から随分経っているような気がするなと思って振り返ってみたら、実は2007年5月のエントリーにカブトムシの話を書いていた"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/32273697.html"。すげえな、9年も前だったのか。史実ではイタリア遠征開始からアスペルン=エスリンクまで13年だからさすがにそれよりは短いが、それにしても随分と昔まで遡るもんだ。

 次に史実との比較、と言っても今回はランヌの死去くらいしか述べることはない。ナポレオンの書簡集"https://books.google.co.jp/books?id=H09XAAAAcAAJ"を見ると、ランヌが死んだ1809年5月31日にナポレオンはそれに関する手紙を少なくとも6通は記していることが分かる。
 まずそろそろ離婚が近づいているジョゼフィーヌに対しては「今朝死んだモンテベロ公の喪失は私をとても苦しめた。かくしてすべてが終わった!」(p61)と短く述べている。次にフーシェに対しては追伸の中で「モンテベロ公は本日31日午前6時に死んだ。その旨を彼の義父に伝えよ。公夫人はパリにとどまっている。とても痛ましい!」(p61)と書いている。ランヌの死を悲しんでいるのは事実だろうが、それにしても随分と短い記述に過ぎない。
 カンバセレスに対する手紙はもう少し長い。「モンテベロ公は今朝死んだ。ゲエヌク氏[ランヌ夫人の父]を呼び出して彼に伝えてほしい。私はミュンヘンとストラスブールにも手紙を書き、もし夫人が[ウィーンへの]途上にあるならそれ以上進まずに済むようにした。(中略)モンテベロ公は負傷よりも病気と合わせた致命的な熱のために死んだ。彼は最期の時、フランク医師に看取られた」(p61)というのが本文。漫画にある「高熱」はこれに由来しているのだろう。
 またカンバセレスに対する手紙以外に、ミュンヘンとストラスブールにも手紙を書いていることが分かる。さらに追伸として「時が来れば夫人に渡せるよう、ゲエヌク氏に与える手紙を同封した」とも書かれている。おそらく書簡集の次に掲載されている元帥夫人への手紙がそれだろう。
 短かったり事務的だったりするナポレオンの手紙だが、流石に夫人への文章はもう少し礼儀正しい。「元帥は名誉の戦場で受けた傷のため今朝死去しました。私の悲嘆はあなたと同じです。私は軍内で名を挙げた将軍、最良の友だと思っていた16年に及ぶ戦友を失いました。彼の家族と子供たちは、常に私の特段の保護を求める権利を持つことになります。あなたが感じるであろう痛みを減らせるものは何もないと思ったからこそ、私はこの保護についての保証を与える手紙をあなたに書きたいと思いました」(p62)。
 そして翌6月1日付で出された公報でランヌの死が公表される。

「モンテベロ公は昨日午前5時に死亡した。その少し前、皇帝は彼と1時間議論をしていた。陛下は欧州で最も有名な医者であるフィンク医師を探すよう、副官であるラップ将軍を送り出した。彼の怪我の経過は良好だったが、致命的な熱が数時間で極めて悲惨な進展を見せた。あらゆる治療は無駄になった。陛下はモンテベロ公の遺体を保存してフランスへと移送し、そこで高い階級と優れた業績にふさわしい名誉とともに迎えるよう命じた。かくしてフランスの最も著名な兵士が命を終えた。彼は多くの戦いで13もの怪我を負った。皇帝はこの損失にいたく傷ついており、それはすべてのフランス人も感じるところとなろう」
p66

 以上でナポレオンの書簡集に載っているランヌの死に関する記述はほぼ終わりだ。あとは6月17日になってナポリ王ミュラに対する手紙の中で「今やそなたはランヌとサン=ティレールの死去を知ることになるだろう」(p125)と述べてはいるが、それだけ。既にランヌは過去の存在でしかないと感じていたかのようだ。
 ナポレオンは後にセント=ヘレナで、ランヌを褒めたたえ彼を信頼していたと述べている"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/del.html"。おそらく妻やフーシェへの手紙で述べた悲嘆の念もまた嘘偽りではないのだろう。だが彼がそうした感慨に浸った時間はとても短かったようだ。公報をまとめた後はすぐに次の仕事へと気持ちを切り替えている。
 思えば若いころ、友人であったショーヴェが死去した時も深夜に感慨にふける場面はあった"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/51996829.html"が、それを長々と引きずった様子はない。彼にとって親しい人物の喪失は、目の前の仕事を放り出すほどのインパクトがある事象ではなかったのかもしれない。

 ナポレオンの反応とは別に、ランヌの死については1つの論争がある。長くなるのでその話は次回に。
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