では完全に密閉するタイプでなく、筒に入れる方の火薬兵器はどう発展してきたのか。よく言われる管形兵器の進化には、爆発物よりも多少時間がかかったように思える。
Andradeも同様にこの火龍神器陣法"
http://ctext.org/wiki.pl?f=gb&res=98552"に掲載されているEruptorをいくつか紹介している(p52)。名称は様々だが、散弾のように口径より小さなものを撃ち出している様子を描いたものが目立つ。これらが元代(1271年成立)から存在していたことを立証するうえで、火龍經だけではおそらく不十分だろう。だがこれまで述べたように元代より前に飛火槍や突火槍といったEruptorが存在していたことを踏まえるなら、あり得なくはない。
そして何より重要なのは西夏銅火銃(Andrade, p53-54)の存在だろう。以前紹介した"
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55798435.html"時はこれを真の銃砲と書いてしまったが、実は口径(12センチ)に比べて弾丸の直径(9センチ)が小さいため、Eruptorとも考えられる。この銃はAndradeによれば1214年から1227年の間に製造された可能性があるそうで、それが事実なら飛火槍などに比べても古い。なお興味深いことにこの兵器は長さ1メートル、重さ108キロと、初期の銃砲と比べてかなり大きなサイズを誇っている。
そしてこれらのEruptorから真の銃砲への移行が起きた。年号が刻印された最古の銃は、Andradeの言う「ザナドゥ・ガン」(p53)だ。長さ34.7センチ、重さ6210グラムのこの銃には「元大徳2年」と記されている"
http://www.epochtimes.com/b5/4/8/5/n618498.htm"。21世紀になって発見されたこの銃はNeedhamの本には載っていないものの、確定した年号のある最古の銃だと見られている。それ以外に製造された刻印はないが、1288年頃のものと思われる銃もある(Needham, p293-294)。
初の銃砲が生まれた年を正確に探り出すのは難しいだろう。だがいずれにせよ、13世紀末頃には金属製の銃身を持つ「真の銃砲」が存在していたことは、考古学的証拠からおそらく間違いない。火薬兵器の初登場から長くても約300年、管形兵器の誕生からだと170年ほどでここまでたどり着いたことになる。現代の感覚からすればのんびりした発展だったかもしれないが、燃焼(酸化)の仕組みすら知られていなかった時代背景を考えるならかなりのスピードだ。
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