ハントシュースハイム

 たまたまネット上でフランス革命期を舞台としたオリジナル小説を発見。その中に戦闘シーンもあったのだが、よりによって選ばれたのが1795年のドイツでの戦役だった。なぜこのようなマイナーな戦場を。
 まあ小説とはフィクション、つまり嘘八百なのでフランス革命戦争をどの様に描こうと別に問題ないのだが、この1795年の戦役については一つ疑問が思い浮かんだのでここに記しておく。それはピシュグリュに対する批判だ。Ramsay Weston Phippsなどが、この戦役におけるピシュグリュの行動に非難を浴びせている。中にはこの時期から王党派と通じたピシュグリュの裏切りが始まっていたとの指摘もある。だが、彼の行動はそれほど責められるべきものだったのだろうか。
 ピシュグリュに対する批判としては以下のようなものがあげられる。(1)マンハイム陥落後、連合軍の補給拠点があったハイデルベルクへの進軍が遅れた(2)ライン上流に展開していたドゼーの4個師団を活用しようとせず、アンベール、デュフォールの2個師団だけで前進を試みた(3)マンハイムもハイデルベルクもネッカー河左岸にあるのに、部隊をネッカー河両岸に展開させた。
 このうち三番目の批判が妥当なのかどうかについては判断しがたい。当時のネッカー河にどのくらい橋が架かっており、渡渉できる場所がどの程度あったかによって結論が変わってくるからだ。渡河の難しい河であれば、Phippsの指摘する通り部隊を左岸沿いにハイデルベルクまで前進させれば良かっただろう。だが、どこでも簡単に渡れるような河であった場合、左岸沿いに前進した結果として右岸から接近してきた連合軍にマンハイムへの連絡線を断たれる懸念もある。現代の地図を見てもこのあたりは判断できないし、ピシュグリュがどう考えたかを推察するには、当時フランス軍が使用していた地図でも探すしかない。それは私にとって極めて困難である。
 残る2つの問題点については反論が可能だ。まずハイデルベルクへの進軍が遅れたとの批判だが、マンハイムが無血開城したのは9月20日。ピシュグリュがマンハイムからハイデルベルクへの前進を始めたのが3日後の23日。マンハイムで一週間ものんびりしていたのなら明らかに問題だが、3日となるとそれほど酷い遅れではないとも言える。実際、Phippsによればアンベールとデュフォールの2個師団がマンハイムに入ったのは21日。一日休養して動き出したと考えればさして問題ある行動でもないだろう。後にナポレオンが率いた大陸軍に比べれば動きが遅いとは言えるだろうが、それはナポレオンが異常なのだ。
 限られた兵力だけでハイデルベルクへ行ったとの批判も、よく見ると単なる結果論に過ぎない。こちら"http://www.kuk-wehrmacht.de/gefechte/17950924hh.html"には24日にハイデルベルクのネッカー対岸にあるハントシュースハイムで行われた戦闘についての詳しい文章があるが、それによるとハントシュースハイムで戦った兵力はオーストリア軍4000人に対しフランス軍は1万2000―1万5000人。Digby Smithの"Napoleonic Wars Data Book"によれば兵力差はもう少し小さく8000人対1万2000人となるが、それを含めてもこの戦いで数的優位がフランス側にあったことは間違いない。
 ライン河上流のドゼーが合流するまで待っていたらハイデルベルクへの前進はもっと遅れ、ヴルムゼルとクレアファイトの合流を阻止するのも難しくなっただろう。とりあえず手元にある兵力でハイデルベルクを目指す。幸いにして彼の地に陣を敷いているクォスダノヴィッチの戦力はフランス軍を下回っているのだから、アンベールとデュフォールを使ってまずこれを撃退するという考えは決して悪くない。
 もちろん、結果としてオーストリア軍に敗れたのだからピシュグリュの判断が間違っていたことは確かだ。兵力をもっと増やしておけば、部隊をネッカー河両岸に分散させなければ、結果は違っていたかもしれない。だが、それは判断ミスではあったとしても裏切りの状況証拠とは言えないだろう。
 むしろピシュグリュの行動で問題があったのはハントシュースハイムで敗北しマンハイムへ退却した後。ジュールダンは改めてラン=エ=モーゼル軍をマンハイムから出撃させるよう懇請したが、ピシュグリュはそうした行動を取らなかった。マンハイムの橋頭堡に封じ込められた状態のまま、サンブル=エ=ムーズ軍がクレアファイトによってライン右岸から駆逐されるのをただ眺めていたのである。この行動については批判を浴びても仕方ない。
 なお念のため言っておくが、上の文章は全てただの思いつきである。きちんと一次史料を調べた上で書いたものではない。もしかしたらピシュグリュを非難するのに値するだけの証拠が存在するのかもしれないので、そういう史料が発見されればすぐ撤回する程度の意見だと思ってほしい。

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