森林と火薬

 大変興味深い指摘を見つけた。「軍事・社会・政治への革命的影響に関する人造硝石の史的研究」"https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-22650213/RECORD-226502132012jisseki/"なる論文だが、この研究概要のところを見てほしい。火薬に使われる硝石の生産においては、硝酸塩の採取と同じくらい「灰汁煮に必要なカリウムの生産が重要」だという。カリウムの調達は19世紀以前はほぼ木灰によって行われており、つまり火薬製造には実は森林が必要だった、という指摘だ。
 硝石丘法と呼ばれる西洋の硝石製造法についてはLeconteの書いたパンフレット"https://archive.org/details/Saltpeter_Instructions_for_the_Manufacture_of_Saltpetre_by_Joseph_Leconte_1862"などで知られているが、厩肥などを使ったnitre bedsで硝酸塩を作り出し、それを漉しとった後で「他の硝酸塩を全て硝酸カリウムにするため、木灰を加える」という手順が書かれている。どの程度の量を加えるかについてLeconteは言及していないが、セイロン島で製造されていた硝石については1822年出版の書物"https://books.google.co.jp/books?id=nyhGAAAAcAAJ"で、洞窟の壁面などに析出した硝酸塩を「同量の木灰とよく混ぜる」(p475)と書かれており、確かにかなりの量を使っていた様子がうかがえる。
 実際18世紀の英国では、木灰の不足が自国内での硝石製造にとって「打ち勝ちがたい障害」と一般に主張されていたという指摘がある("https://books.google.co.jp/books?id=TqZJAAAAYAAJ" p770)。日本では幕末に火薬を確保するため木灰など様々な灰に「領外持ち出し規制」をかけた藩もある"http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=240"。
 カリウム源としての木灰が必要とされただけではない。やはり天然硝石でも人工硝石でも同じことだが、硝酸カリウムをきちんと結晶化させるためには作業過程で「高温で長期間沸騰させる必要があった」"https://www.highbeam.com/doc/1G1-209404380.html"。木灰となる木だけでなく、薪となる木も必要とされたのだ。確かに森林がほとんどない地域にとっては、これはハンデだろう。
 世界の森林分布"http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/22hakusyo_h/all/h32_01.html"を見ると、ユーラシアで森林があるのは欧州、日本や華南、朝鮮を含む東アジア、東南アジア、インドのヒマラヤ山麓や亜大陸東部、そしてシベリアのタイガ地帯だ。これらの地域は降水量の多い地域"http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~syamada/map_syamada/PhysicalGeography/C1110Precipitation_World.jpg"とほぼ重なっている。もし本当に火薬製造に森林が必要だったのなら、中国など東アジアと欧州は確かに「火薬向きの土地」だったのだろう。

 森林分布が火薬や火器の普及にどう影響したかは、2つの視点で考えられそうだ。まず、中国で発明された火器の普及が、ユーラシアの中間地点をすっ飛ばしていきなり欧州へ飛び火したように見えること。以前にも指摘した"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55798435.html"が、イスラムでの火器受容は決して早くはなく、中にはむしろ欧州経由で伝わったと見られる事例もある。中国からの距離で言えば欧州より近かったはずのイスラム圏だが、欧州ほど早期に火器が使われていた明確な証拠はない。
 同じことはインドについても言える。インドの火薬史に詳しいIqtidar Alam KhanのまとめたHistorical Dictionary of Medieval India"https://books.google.co.jp/books?id=pzZFUcDpDzsC"に掲載されている火器の項目(p63)には、13世紀後半に最初にインドへと伝わった火薬兵器が「ハワイと呼ばれたロケット」だったと指摘。この武器は14世紀後半から広く使われるようになったが、大砲のような火器は1440年頃になってようやく登場し、ハンドガンは15世紀末にならないと現れなかったという。
 Gunpowder, Explosives and the State"https://books.google.co.jp/books?id=7n6Cg9znFrUC"にはソースも含めたそのあたりの由来が記されている。火薬をインドに伝えたのはモンゴルであり、1259年にはテルメズの住民はNeedhamの言うeruptor("https://books.google.co.jp/books?id=hNcZJ35dIyUC" p263)を既に知っていたという。1300年のランタンボール城"https://en.wikipedia.org/wiki/Ranthambore_Fort"攻囲の際にはモンゴルからの脱走兵がこうした火薬兵器を使って戦ったという。ハワイについては13世紀末にかけて言及があり、14世紀のトゥグルク朝"https://en.wikipedia.org/wiki/Tughlaq_dynasty"の時代には既に戦争で使われ、バーマニ王国の武器庫にも存在していたという(Gunpowder, p54-55)
 欧州より遅いといっても14世紀後半には火器が存在していたイスラム圏に比べ、インドはさらに100年遅れていたことが分かる。そしてインドの地図を見れば分かるのだが、彼らが主に侵略にさらされた北西部は乾燥し森林に乏しい地帯だ。後にインドは英国の支配下で世界でもトップクラスの硝石生産国になるのだが、その際に生産の大半を担ったのはガンジス下流に近いビハール州であり("https://books.google.co.jp/books?id=UOr_AwAAQBAJ" p59)、主な戦場となっていた北西部からは遠かった。
 最初に火薬に触れた人々が硝石を集めようとすれば、人工硝石を生産するのではなく、例えば古土法のようにあらかじめ存在している硝酸塩を集める方法を取っただろう。だがそれを集めて漉しただけでは火薬に適した硝酸カリウムを集めることはできない。どうしても木灰と混ぜ、長時間煮詰めなければならない。木材が貴重な地域では、このため積極的に火薬を作ろうとするインセンティブが薄れた可能性はある。少なくともコスト的に他の兵器に見合わないと判断され、採用が遅れた可能性は考えておくべきだろう。

 導入の遅れよりも重要なのは、より長期的な火器の普及・発展にもたらした影響だろう。欧州での火器発展の理由として、戦争が続いたことや遊牧民から遠いOuter Zoneにあったことなどを論拠とする説をこれまで紹介していたが、それに加えて「火薬製造コストが安い地域だったから」という理由が存在した可能性がある。
 欧州での硝石丘製造について最初にキーザーが言及したのは1405年だが、Partingtonによれば実際には1398年より前からこの方法が採用されていたらしい。1390年前後を境に各国で硝石のコストが急減しているのがその理由だという("https://books.google.co.jp/books?id=fNZBSqd2cToC" p314)。Medieval Handgonnes"https://books.google.co.jp/books?id=mhoe1nIT9qoC"に載っている英国での硝石価格(p12)を見ても、1396年までの1シリング6ペンスが1400年には1シリング(つまり3分の2の価格)に低下し、1461年にはさらに半分以下の5ペンスにまで下がっている。
 もちろん他地域からの輸入もあっただろうが、生産能力の拡大もおそらく背景にあると見るべきだろう。コストの低下はより多くの火器導入を後押しし、使用例の増加にともなって改良を施される割合も増えたのだろう。木材は火薬の製造過程以外にも様々な用途で使用される。豊富にあれば低コストで生産も可能だが、少ない場合は他の用途との間で取り合いになり、需要増に伴う価格上昇が間違いなく生じる。そして価格が上がれば軍が導入できる火器や弾薬の量が減る。
 中国は木材はそれなりに豊富だったが、平和のため火器の発達が止まった。インドやイスラム圏がどの程度平和であったかは詳しくないが、たとえ戦争続きだったとしてもコスト問題で容易に火器ばかりを増やすわけにはいかなかった。戦国時代が続き、なおかつ相対的に低コストで火器を使用できた欧州のみが、火器発達を達成できる条件を満たしていた、のかもしれない。

 この論文の著者は研究を踏まえていくつか仮説を提示している"https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-22650213/22650213seika.pdf"。硝石と木炭を混ぜると爆燃するという知識は農耕民の間ではある程度知られていたのではないか、硫黄を混ぜた火薬は銃砲製造の技術確立後に発明されたのではないか、戦国時代の堺の衰退は輸入硝石が国内生産の硝石に取って代わられたために生じたのではないか、などだ。
 このうち2番目の仮説はさすがに無理があると思う。1044年に成立した武経総要"http://www.cos.url.tw/book/4/O-1-040.htm"を見ても、前集巻12に収録されている火薬法には明確に「硫黄」の文字があるし、前集巻11の毒薬煙球にも「硫黄」を使用することがはっきり書かれている。一方、武経総要には銃砲についての言及は一切ない。火器を示す証拠の中でも最も古そうな四川省の像の成立年は1128年"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53906343.html"であり、武経総要より80年以上も後の時代だ。銃砲のため硫黄入り火薬が発明されたという説は史料と矛盾する。
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