大分岐の背景・上

 ナポレオン時代の兵士については、しばしば100年前と変わらぬ武器を持って戦ったという話が語られる("https://books.google.co.jp/books?id=sxaNJ3dbcLMC" p45)。確かに歩兵と騎兵はそうだろう。燧石式マスケット銃も銃剣も1700年頃には完全に定着していたし、騎兵の持つ白兵戦用の兵器ははるかに古い歴史を持っている。だが、砲兵についてはこの議論は必ずしも当てはまらないようだ。AndradeがThe Gunpowder Age"http://press.princeton.edu/titles/10571.html"で指摘しているのもその例だが、調べてみるとどうもそれだけにとどまらないようだ。

 Andradeによると、中国と欧州の「大分岐」をもたらした18~19世紀の武器の発展をもたらした大きな要因は欧州の「経験科学」だった"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55822434.html"。Benjamin RobinsのNew Principle of Gunnery"https://books.google.co.jp/books?id=N3BUAAAAYAAJ"や、John MullerのA Treatise of Artillery"https://books.google.co.jp/books?id=vylEAAAAYAAJ"といった研究結果に基づいて、この時期の大砲には様々な改良が加えられていた。その代表例がカロネード砲"https://en.wikipedia.org/wiki/Carronade"とされている。
 実際、カロネードが彼ら砲兵理論家によるアイデアの「実戦的な適用例」であるという指摘はある。British Smooth-Bore Artillery"https://sha.org/assets/documents/British%20Smooth-Bore%20Artillery%20-%20English.pdf"によると、口径の小さな大砲は理論的にはより軽量化でき、それによって小さな艦船の砲撃力を増すことができるという理論家たちの主張を取り入れ、カロン社が製品化したのがカロネードだそうだ(p103)。Andradeの紹介している通りだ。
 だがAndradeが海軍向けカロネードと同様、陸軍においても「短く、[砲身の]肉厚が薄く、速く、以前のものより運びやすい」小型の大砲や曲射砲が発展していた(The Gunpowder Age, p249)と書いている点については、疑問がある。特にAndradeが事例として取り上げているアヘン戦争における寧波での戦闘"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Ningpo"に使用された大砲については、果たして本当に「経験科学の成果」として製造されたものかどうか、疑わしい。
 この戦闘で中国軍相手に多大な威力を発揮したのが曲射砲であるのは、例えば1844年に出版されたアヘン戦争に関する本にも書かれている(p239)。この砲は従軍した人物の書いた本によれば山岳曲射砲mountain howitzerだったらしい("https://books.google.co.jp/books?id=-zsQAAAAYAAJ" p255)のだが、この時代に英軍山岳部隊で使用されていた曲射砲は「クーホルン曲射砲」Coehorn Howitzerであったと思われる("https://books.google.co.jp/books?id=294KAQAAIAAJ" p18)。
 クーホルン"https://en.wikipedia.org/wiki/Menno_van_Coehoorn"は17~18世紀のオランダ軍人であり、彼の名を冠した小型の臼砲を開発した人物である。この臼砲はやがて英軍にも導入され、そして彼らはそれをもとにクーホルン曲射砲を18世紀前半に作り上げた。砲車に乗せることで移動しやすくした曲射砲は、確かに「速く運びやすい」大砲だと言える。だがこの曲射砲が経験科学に基づいて開発されたとは思えない。
 Robinsの本が出版されたのは1742年。一方、British Smooth-Bore Artilleryによると英軍の記録にクーホルン臼砲の話が最初に出てくるのは1713年であり、1725年の記録によるとその重量は2分の1ハンドレッドウェイト(25キログラム)となっている(p113)。だがこの臼砲をもとに作られたクーホルン曲射砲は1764年の時点で重さが2ハンドレッドウェイトと14ポンド(106キログラム)と大幅に増えている(p137)。この重さはアヘン戦争後に至るまでほぼ変わっていない(p108)わけで、要するに曲射砲について軽量化を図る取り組みがなされたようには見えないのだ。

 むしろ陸軍の大砲に「経験科学」が適用された事例があるとしたら、それは軽量化とは別の切り口だった可能性がある。RobinsもMullerも指摘していることだが、陸軍でアヘン戦争前に行われた大砲改善策に、間隙windageの削減があった。前装式の大砲においては砲腔より砲弾のサイズが小さくなければ弾込めができなくなるので、間隙は絶対に必要である。それに製造時にどうしても発生する誤差を考えるなら間隙は欠かせない。だが一方で間隙が大きければ火薬の爆発による威力がその間隙から抜けてしまうため、弾丸を押し出す力がそれだけ失われる。
 1716年から1825年の時期に英軍の大砲でどの程度の間隙があったかはBritish Smooth-Bore Artilleryのp288に載っている。RobinsやMullerの指摘もあって間隙が大きすぎるのではと考える関係者は多かったようで、軍内では間隙を減らす検討が1817年になされたようだが、この際には陸軍は同意したものの海軍の反対で実行はなされなかった。だが1825年になると弾丸のサイズを大きくすることで間隙を小さくする改革が行われた(p289)。アヘン戦争はそれより後の話なので、この点について陸軍の大砲にも経験科学の知識が活用されたとの主張には論拠がある。
 もっともp289の表を見ても分かる通り、間隙縮小の対象にクーホルン曲射砲は含まれていない。そもそも1820年代には新しいミラーの曲射砲が導入され、クーホルン曲射砲は英軍主力での使用は限定されていった。山岳部隊と植民地部隊では1881年まで使われたようだが、改革の対象となるほど最先端の武器ではなくなっていたようだ。それにそもそも寧波の戦闘では「ぶどう弾と散弾」("https://books.google.co.jp/books?id=-zsQAAAAYAAJ" p255)を使っており、間隙は関係ない。寧波についてはやはり「経験科学」はあまり関係ないように思える。

 ついでに曲射砲の歴史についても簡単に。howitzerという言葉がフス戦争でも使われたhoufnice"http://husitstvi.cz/wp-content/uploads/jednotky-vyzbroj-vystroj05.jpg"に由来していることは確かなようだが、ナポレオン戦争期に使われたタイプの曲射砲の歴史は、それほど古くない。
 The British Military Library, Vol. II."https://books.google.co.jp/books?id=FaucH1WQfDQC"は曲射砲について「とても現代的」なもので、直前のオランダとの戦争時にようやく知られるようになったと言及している(p527)。英国とオランダの戦争は17~18世紀に何度も行われている"https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Dutch_Wars"ため、ここで言う「直前の戦争」がいつのことを示すかは不明だが、遡っても17世紀後半なのは間違いないだろう。
 同書によればフランスで最初に曲射砲が製造されたのは1749年となる。英国での導入が18世紀前半(ただし最も古い説でも1728年)なのはBritish Smooth-Bore Artilleryに指摘されている(p137)。またロシアの長砲身曲射砲リコーヌも同じ頃に導入されており、Nafzigerによればダニロフとマルティノフによってデザインされたのが1757年だそうだ"https://books.google.co.jp/books?id=EOU0rHbAzfAC"。英語wikipedia"https://en.wikipedia.org/wiki/Howitzer"でも、18世紀半ばに多くの欧州諸国が曲射砲の導入を始めたとしている。
 臼砲と同様に砲身が短い曲射砲だが、両者の大きな違いは砲耳"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3"の位置にある。砲身の横に突き出した突起物である砲耳は、臼砲の場合は砲尾付近についており"http://jefenry.com/main/SeacoastMortar_attachments/16.jpg"、しっかりとした台の上に設置するのに向いている"http://s70.photobucket.com/user/Traveler8376/media/Mortars/P1010153.jpg.html"。一方、曲射砲の砲耳は通常の大砲同様、砲身の真ん中近くにある"http://www.brooks-usa.com/sitebuildercontent/sitebuilderpictures/photo184.jpg"。砲車に乗せて運搬する際の利便性を重視したためだろう"http://www.buckstix.com/images/steenb17.jpg"。
 もともと臼砲は攻城戦に使うためのもので、相手が動かない的だったため機動性を考える必要もなかったようだ。だがやがて野戦でも使えるような直接照準でない大砲が求められるようになり、そこで編み出されたのが曲射砲だった。そしてそれが発明された時期は、確かに中国と欧州の大分岐が始まる時でもあった。
 だから曲射砲が大分岐をもたらした発明の1つとみなすのは間違いではない。間違いがあるとしたら、それが「経験科学」に由来すると主張する点に存在するのだろう。少なくとも私の調べた限り、曲射砲の発明は経験科学というよりは戦場での必要性に由来すると考えた方がよさそうに思える。
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