16)マーク=アントワーヌ・マルレ、ヴェルトュイユ=ド=マルレ男爵
1718年、ジロンド県のサン=ルーベに生まれる。43年に中尉に任官、同年から48年まで(オーストリア継承戦争?)フランドルの戦役に参加する。46年大尉。七年戦争中、56年から62年までドイツの戦役に参加。60年中佐、70年にはmarechal de camp(少将)となり、84年に中将まで昇進。
革命後の1790年2月12日、ラ=ロシェルの第12軍管区指揮官となる。93年の叛乱勃発時には現地指揮官として対応にあたり、3月27日には王党派が攻めてきたサーブルに第110戦列歩兵連隊の1個大隊と200人の国民衛兵隊を率いて救援に駆けつけてこれを撃退した(Deniau)。3月下旬からは共和国軍による攻勢にも参加している。
5月15日、公安委員会の命によって解任されるが、派遣議員の要望もあって実際には職務を遂行し続けた。しかし8月3日には改めて職務停止。ヴェルトゥイユのヴァンデへのかかわりはここで終わる。95年に引退が認められ、1801年に死去。
なお、ヴァンデ側の指揮官にもヴェルトゥイユという人物がいたが、こちらは元ラングドック連隊少尉(Deniau)なのでヴェルトゥイユ将軍とは別人であろう。
コメント