戦国とPDCA

 AndradeのThe Gunpowder Age"http://www.goodreads.com/book/show/25440222-the-gunpowder-age"は、火薬兵器が最初に発展した時期の中国について面白い視点を提供している。即ち「宋戦国時代」Song Warring States Period(p24)という見方だ。この「戦国時代」とは日本のそれではなく中国の歴史時代をイメージしている。
 戦国時代とは何か。Andradeによれば「混乱と安定のバランスが実り多い均衡を生み出す」(p26)時代のことである。複数の国家が互いに争う時代でありながら、それぞれの国家は長期にわたって存続する。この条件こそが軍事技術の革新をもたらしやすいという理屈だ。「戦争という競争を生き延びた国々は少しばかり学び、技術的組織的構造を変化させ、教訓を次に戦う時に適用する」(p28)。このダイナミズムが続くためには、絶えず争いがあり、それでいて争いあう諸国は簡単に消え去ることなく生き残り続ける必要がある。
 もちろん中国にはそういう時代、つまり戦国時代があった。紀元前の戦国時代は200年以上にわたって7つの強国が互いに争った時期であり、この時期もまた軍事技術が大きく発展した時だという。確かに春秋の頃に主力だった戦車が戦国になると「胡服騎射」の騎兵へと移っていったし、弩も戦国の頃には使われるようになった。墨家という戦争技術を一つの売り物にした思想集団もこの時代に生まれている。
 では火薬兵器が生まれた時代はどうなのか。本来の「戦国時代」に比べると数は少ないが、2つから3つの国々が絶えず抗争を続けた時代だったことは確かだ。またそれぞれの国はそれなりに長く存続している。例えば宋は北宋と南宋の両方を足せば960-1279年と300年以上続いたし、遼(907-1125)と西夏(1038-1227)はおよそ200年ほど、金(1125-1234)とモンゴル(1206-1368)も100年以上は命脈を保った。世代をまたぎ、戦争で学んだことを次の戦争で生かすようにできるだけの時間はあったというわけだ。
 同じことは中国で発展が止まった後も火器の発展が続いた欧州にも当てはまる。1500年頃から1945年までの欧州は長期にわたる「戦国時代」にあったとも解釈できる。この期間の大半を通じてフランス、英国、オーストリア、スペイン、ロシア(モスクワ大公国含む)といった国々が長く存続を続けており、彼らが経験から得た知識を生かして改革を進め、それが軍事技術の発展をもたらしたと考えても理屈は通る。火薬兵器がなぜ発達してきたかを示す説の1つと言えるだろう。

 実際には発火剤としての火薬使用や火槍といった兵器は北宋成立前から存在していた可能性もあるため、「宋戦国時代」のみが兵器の発展に寄与したと主張するのは難しい。五代十国のように分裂した諸国の寿命が極めて短かった時代でも、初歩的な火薬兵器の発明と使用には十分だった。AndradeはChaseの唱える「遊牧民が主な敵だったことが火器の発展を妨げた」との説が十分ではないと指摘しているが、同じことがAndradeの提示した「戦国時代仮説」にも当てはまるかもしれない。
 この仮説を確認したければ中国の紀元前、宋の時代、1500年以降の欧州という3つの事例を調べるだけでは不十分だろう。もっと多くの事例を調べ、かつ対象群も設置し、どちらがより軍事技術の発展という現実の成果をもたらしたのか比較する必要がある。少なくとも中国なら春秋時代、三国から南北朝にかけての時代も見るべきだし、日本の戦国時代における戦争技術の発展も見てみたいところ。
 古代ギリシャや近代イタリア、あるいはシュメールのような都市国家群の場合はどうなるかも気になる。時期によってはかなり長期にわたって複数の都市国家が互いに争う状況が続いたと思われるが、果たして都市国家の規模で軍事技術の蓄積発展はあり得るのだろうか。都市国家では規模が小さすぎるというのなら、どのくらいの規模である必要があるのか。気になることは色々だ。

 またこの仮説が正しいとして、その場合はなぜ中国は火薬の発明後に何度も平和が訪れ、逆に欧州では20世紀になるまで分裂しての戦争が続いたのかが問題となる。たまたまだったのか、何か理由があったのか。偶然でないとしたら、どのような要因がこうした差をもたらしたのか。
 個人的にはここで過去の歴史の蓄積が影響したという考えを提示してみたい。こちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55668651.html"で紹介した「アサビーヤ」と似ているが、それよりももっと受動的かつ基底的なものだ。中央集権的な大帝国の支配を受け入れることに対する地域の心構えというか、受容度とでもいったもので、そうした歴史的経験に薄い地域は統一に抵抗し、経験の多い地域は容易に従う、といった傾向があるんじゃなかろうか。
 そもそも中央集権や絶対君主、それを支える官僚や法制度、常備軍、税制、複雑な社会が生み出す都市や交易関係などは欧州よりもInner Zoneの諸文明で先に発展したものであり、「ユーラシアを通じた長期の基礎的な傾向は、より少ないがより中央集権的な政治単位へと向かっている」(The Gunpowder Age, p116)。中国はそうした経験をより多く積んでいるのに対し、欧州はほとんどそうした経験がない地域だ。宋戦国時代の前に隋唐帝国、その前に秦漢帝国を経験した中国に対し、ローマですら半分しか支配していなかった欧州の差が、両地域の戦争と平和の差につながったのではないだろうか。
 集権国家の歴史を持つ地域なら、分裂してもまた統合へ向かう際の抵抗が少ない。だがそうした経験が乏しければ、統合は容易は試みではない。もちろん長い時間を経れば統合された期間も長くなり、その蓄積によって次第に統合への抵抗は薄れていく可能性はある。でもそうでない地域は、そもそも自分たちが隣人と一体であるという歴史的経験がないため、統合の動きに対しては抵抗が先に立つ。そうした基底的な傾向の差が、中国と欧州における「戦国時代」の継続期間の差になったのではないか。
 もちろん平和な方が住んでいる人間にとってはありがたいが、一方で平和な帝国中心部ではアサビーヤが衰える。逆に辺境たる欧州はアサビーヤがむしろ強化され、国家としては隆盛につながりやすかった。そして戦争の有無は軍事技術の発展進化にも影響を及ぼす。「戦国時代」の中国が生み出した火薬兵器は、皮肉なことに「戦国時代」がより長く続いた欧州で本格的に発展することとなった。

 火薬だけではないだろう。こちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55677354.html"では馬匹を使った戦争技術が帝国の興亡に影響を及ぼしていた可能性を指摘した論文を紹介している。実はこの馬匹こそInner Zoneに古くから大帝国が発展した最大の要因ではないだろうか。初期の文明が生まれたのはInner Zoneであり、国家興亡シミュレーションでステップ地帯(つまり馬の生産地)に近い地域である。農業だけならオリエントや中国以外にも、南北米大陸やニューギニアで個別に発明、発展している。だがそれらの農業文明のうち真っ先に大帝国につながったのは、馬が近くに生きていた地域だけだ。
 馬匹を使った戦車、そして後には騎乗技術が、戦争で大きな効果を発揮したのはおそらく間違いない。それは周辺諸国を従えて政治単位を大きくすることと同時に、国内の不満分子を抑え込んで集権化を進めるうえでも有効な存在だったんだろう。ただし馬匹という生き物はどこでも自由に増やせるわけではない。馬が生息していたユーラシアのステップ地帯に近いところと、そこから遠く離れた地域では大きな差がついた。地理的に優位にあったオリエントと中国のみが先行し、そして大帝国の歴史が積み重ねられた。
 その中では欧州や日本などのOuter Zoneは歴史の浅い辺境にならざるを得なかった。もちろんこれらの地域にもやがては馬匹を使った戦争技術が到達したのだが、時間がかかった分だけ政治単位が集権化し大型化するのが遅れた。日本はサイズが小さかったからまだ統合も難しくなかったが、巨大な欧州は統合の経験がほとんどないまま火薬の時代を迎えた。
 火薬も馬匹も戦争技術という点では似ているが、一つ大きな違いがある。馬は生き物だが、火薬の原料は広範囲で入手可能であり、後は知識さえあれば作れる。生態系に縛られない火薬は、馬匹よりはるかに短期間に遠方まで広がるのだ。そうなると辺境だったOuter Zoneの方がPDCAサイクルを回しやすい分だけ火薬技術の発展では優位になる。そこに辺境で強化されたアサビーヤの優位も加われば、Outer ZoneがInner Zoneに対して優勢となる可能性は高くなる。歴史上で実際に起きたことは、こうしたメカニズムが働いた結果かもしれない。
 あくまで思いつきだが、歴史において集権的な少数の国にまとまっていく大きな傾向というものは確かにあるし、戦争技術が国家の興亡と無縁でないことも事実だろう。後は馬から火薬へと主役が変化したことが何をもたらしたのか、馬と火薬以外に主役となった戦争技術はなかったのか、といった問題が気になるところだ。
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