小分岐

 Tonio AndradeのThe Gunpowder Age"https://books.google.co.jp/books?id=1jRJCgAAQBAJ"について。最初は小さかった火器がその後どうなっていったのか、大きな流れを追ってみよう。

 大砲が本当に大砲らしい大きさとなったのは1370年代以降だ。フランスではこの時期、1トン強の材料を使って火器を作った記録が残っており(Ancient Cannon in Europe"https://books.google.co.jp/books?id=KwgHAAAAQAAJ" p30)、それこそ「大砲」の名に値するような桁違いに大きい火器が登場したことが分かる。これらの兵器はもちろん対人ではなく、城壁を破壊するために使われた。
 中国はどうだったのか。彼らにも大型大砲を作る能力はあった。同じ1370年代に作られた洪武大砲と呼ばれる兵器は、欧州の大型砲には及ばないものの、それでも440キロ台の重さを誇っていた("https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/15435/049000020005.pdf" p42)。だが中国ではこうした大型砲を作る動きは広がらなかった。欧州では特に15世紀から巨大砲の時代が訪れ、コンスタンティノープル攻撃に使われたウルバン砲"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E7%A0%B2"など有名な大砲がいくつも作られたのに、である("https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_largest_cannon_by_caliber"も参照)。
 その原因は城壁にある。欧州の城壁に比べ、中国の城壁は桁違いに分厚かった。頂上部分で厚さ10メートル、基底部だと20メートルもあるものも珍しくなく、もはや壁というより堤防のレベルである。おまけに土を固めて作る版築という建設法を採用しており、砲撃に対しては非常に強かった。それに対し欧州では「極めて厚い」と言われる城壁で厚さ2メートル強。屈指の強さを誇ったコンスタンティノープルの城壁ですら外側の城壁が厚さ2メートル、内側が4メートルにとどまり、中国の壁とは比べ物にならなかった(The Gunpowder Age, p98-99)。
 なぜ中国の城壁というか市壁は厚かったのか、理由はよく分からない。何しろ中国の市壁は火薬が発明されるはるか前、黄河文明の頃から異様な分厚さを誇っていたのだ。Needhamによれば龍山文化の頃から中国の市壁は極めて大きく分厚いものだったそうで、湯王の時代のものとされる市壁は1辺が1200~1700メートルの長さを誇り、その厚さは16~25メートルに及んでいたそうだ("https://books.google.co.jp/books?id=zeIJQPa-OcUC" p292-295)。
 おまけにこの城壁は基礎部分より頂上部分が狭く、つまり傾斜していた(The Gunpowder Age, p100)。これは後に登場する稜堡式の要塞"https://sites.google.com/site/ryoubaoshijoukakurisuto/"、いわゆるtrace italienneと同じ特徴であり、垂直の壁よりも砲弾の衝撃に対して強い。要するに中国の壁はいくら砲を大きくしても壊れそうにないほど頑丈だったのである。そのため中国の攻城戦は主に門を巡っての戦いになり、その際には砲兵より歩兵による強襲の方が有効だった(The Gunpowder Age, p233)。だから中国では大型砲が生まれなかったのだという。

 ただしウルバン砲のような大型砲は火器の歴史で言えば袋小路だった。実際に後の時代につながる発展となったのは、同じ15世紀に起きた効率化の動き。具体的には長砲身化と砲弾の材料変化だ。それまでは石を球形に加工していたのが、15世紀からは鉄製の砲弾が使われるようになった。同じサイズでも鉄の方が密度が高く重く、それだけ破壊力が増す。砲弾によく使用された大理石の密度が1立方センチ当たり2.7グラムだったのに対し、鉄の密度は7.9グラム(p105-106)。同じサイズで3倍近い質量があり、どちらが有利かは一目瞭然だ。
 一方の長砲身化は口径に対する砲身の比率が上がること。1488年に作られたヌシャテル砲は砲身と口径の比率が40対1と細長くなっており、その数値は古い大砲の4倍に達している。(p105)。砲身が伸びればそれだけ砲弾が銃身内で加速される時間が長くなり、銃口から飛び出す時点での速度"https://en.wikipedia.org/wiki/Muzzle_velocity"が高まる。質量と速度の大きい砲弾を撃ち出せるようになったため大砲のサイズ自体は小さくても十分で、取り回しが楽になったうえに撃った後にかかる砲身の冷却時間も短くなった。このタイプの大砲をAndradeは「古典的大砲」classic cannonと呼んでいる。
 欧州で生まれた古典的大砲だが、中国でも似たような流れはあったようだ。Andradeが紹介している事例(The Gunpowder Age, p108-110)を見ると、14世紀には低いもので3倍程度、高いものでも20倍強だった比率が、15世紀半ばには20倍超から高いものだと30倍近くまで長砲身化が進んでいる。欧州と同様な変化が中国でも進んでいた(ただしサイズはその大半が長さ40センチ以下にとどまっている)。だが欧州と異なり、最終的な比率である40倍の古典的大砲が中国で完成することはなかった。なぜか。
 Andradeが理由として挙げているのは戦争だ。ポンティングと同じく、戦争があったから武器が発展したという理屈である。戦争がなければ火器を試す機会がなく、戦場でのフィードバックもないため新しい試みも広がらない。いわば火器のPDCAサイクル"https://ja.wikipedia.org/wiki/PDCA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB"におけるDo以下の部分が回らなくなる。戦争続きだった欧州でこのサイクルが回り続けたのに対し、中国ではある段階でそれが止まってしまった。
 具体的にAndradeが挙げているのは1449年の土木の変"https://en.wikipedia.org/wiki/Tumu_Crisis"から1521年の対ポルトガル戦争"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Tunmen"までの期間。ただ実際にはそれ以前の永楽帝"https://en.wikipedia.org/wiki/Yongle_Emperor"が死んだ1424年頃から戦争が減りサイクルが回らなくなっていたようだ。ちなみに土木の変の際にはこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54346791.html"で述べたように中国版ラーガーが編み出されている。
 AndradeはChaseが掲げている「遊牧民相手に火器は有効ではなかった」という説明には必ずしも同意していない。中国人自身、遊牧民相手には火器が有効だったと考えているのがその論拠で、Chaseの考えについては「捨て去るべきではないが、おそらく一部のみを説明するものだろう」(The Gunpowder Age, p112)と述べている。Outer ZoneだけでなくInner Zoneの戦争も含めて火器の発達には効果があったという考えのようだ。

 Andradeの分析は主に大砲に関するものが中心だが、それを見るだけでも15世紀に戦争続きの欧州と平和になった中国の間に軍事技術面で差が付き始めたことは分かる。これをAndradeは「小分岐」Small Divergenceと呼んでいる。ポメランツの「大分岐」The Great Divergence"http://press.princeton.edu/titles/6823.html"に引っかけた言い回しだろう。
 Andradeがあまり指摘していない小さな携帯用の火器、つまり銃の分野でも実は同じように「小分岐」が生じていた。具体的にはアルケブスの発明である。西洋から伝わった火縄式のアルケブスが日本に導入された経緯は有名だが、中国でも海賊たちを経由して1540年代には「鳥銃」と呼ばれたアルケブスが伝わっていたようだ(The Gunpowder Age, p171-172)。
 だがアルケブスの特徴の一つである引き金が最初に生まれたのは、実は中国だったとNeedhamは指摘する。17世紀に書かれた武備志という本に書かれているいくつかの兵器に、サーペンタインと呼ばれる初期の引き金が記されている"http://greatmingmilitary.blogspot.com/2015/11/wu-lei-shen-ji-and-san-jie-shen-ji.html"のだが、Needhamはそこで紹介されている武器が14世紀に成立した火龍経"https://en.wikipedia.org/wiki/Huolongjing"にも掲載されていること、及び簡単な引き金機構は昔から中国に存在する弩でも使われていた点を踏まえ、サーペンタインは中国で発明されたと推測している("https://books.google.co.jp/books?id=hNcZJ35dIyUC" p459-465)。
 Needhamの主張が正しいなら、引き金機構についてもその発明元である中国がこの時期に欧州に追い抜かれたことになる。アルケブスで使われた機構はバネなどを使った複雑なもの"http://3.bp.blogspot.com/_59GYpEVAu0U/S77DWAHqADI/AAAAAAAAAAk/HyYliEXqdBk/s1600/MatchlockAnim.gif"で、そこまでの発達は中国ではなく欧州で進んだことが明白だ。大砲だけでなく銃の分野でも「小分岐」が進んでいたのだろう。
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