色々と取り上げたいところがあるのだが、まずは1点この本の面白い指摘を紹介しよう。14世紀における火器の「サイズ」についての指摘だ。
同様に絵をもとにしてRoyal ArmouriesがPot de ferを再現したことがある。1999年に製造されたものは長さ90センチ、最も大きなところで直径40センチという大型の壺のようなサイズ。ここから絵に描かれたような大型の矢(長さ135センチ、重さ1.8キロ)を発射したところ、およそ150メートルの飛距離が得られたという。使用した火薬は230グラムが最適で、多すぎると矢柄が壊れてしまったそうだ(Medieval Handgonnes"
https://books.google.co.jp/books?id=mhoe1nIT9qoC" p8)。
例えば矢を飛ばした場合、銃口の初速は秒速63メートルや87メートルという低い速度だったが、飛距離は205メートルと360メートルという大型Pot de ferよりいい成績を残した。弾丸を使った場合は275メートルから945メートルも飛び、平均で630メートルを達成。撃つ際に仰角45度にして飛距離を稼いだ面があることは確かだが、かなり安定した性能を発揮したのは事実である。逆に大型のPot de ferを再現した研究者は、元が中世絵画というあまり信用できないソースから作ったため、その妥当性に疑問を呈しているという(Medieval Handgonnes, p9)。
そんなわけで欧州でも本当に初期の火器については色々と疑問があるのだが、Andradeはこの点について1つの考えを示している。つまり、当時の火器は実際は極めて小さかったという指摘だ。Milemeteの絵から想定されるサイズより、ロスフルト・ガンに代表されるサイズこそが一般的であり、それは洋の東西を問わなかったという。
14世紀はおそらく初めて中国以外に火器が広まった時代だ。ここで言う火器とは、Needhamが分類している5種類の火薬兵器のうち、火薬の爆発を利用して投射物projectileを前方に撃ち出すものを指す("
https://books.google.co.jp/books?id=hNcZJ35dIyUC" p147)。つまり銃とか大砲のことだ。これらの兵器は、12世紀は早すぎるかもしれないが、おそらく13世紀には発明されていた。欧州にこれらが伝わったのはAndradeによれば1320年代半ば(The Gunpowder Age, p78)。まさにMilimeteの時代である。
14世紀半ば、中国を統一した当時に明が使っていた火器は、我々の思い浮かべる大砲とはかなり違っていた。碗口銃"
http://baike.so.com/doc/552541-584923.html"と呼ばれる砲口が大きく開いた格好をしており、長さも30~40センチ程度、重さは8~30キロ程度。それでもこの時代では大きい方で、Andradeによればこの時代の火器は多くが2~3キロの重さしかなかったという(The Gunpowder Age, p60)。
これは中国から火器を導入した欧州でも同じだった。Andradeは、19世紀の研究者であるHenry Brackenburyが記したAncient Cannon in Europe"
https://books.google.co.jp/books?id=KwgHAAAAQAAJ"を引用してその事実を紹介している。Brackenburyは大砲の購入に使われた費用に関する14世紀の記録を調べ、その費用から使われた金属の量を推定した。この実証的な研究手法によって彼が出した結論によれば、14世紀前半の欧州では大半の大砲の重量は25ポンド(約11キロ)以下で、最大でも120ポンド(約54キロ)だったという(p11, 21)。一方、Royal Armouriesが再現した大型Pot de ferの重量は実に410キロに達したそうで、14世紀前半にはあり得ない重さとなってしまう。
中国から最初に仕入れた火器が小さかったのだから、欧州でも火器が小さかったのは当然だろう。あまりに小さかったため実は攻城兵器としては役に立った様子がなく、結果として投石機のような「同時代のより大きな戦争用の道具」(p21)がなお欧州でも現役だった。むしろ中国でそうだったように、欧州でも最初の火器は対人兵器として使われたのではないか、というのがAndradeの推測だ(The Gunpowder Age, p83)。まさにクレシーの戦いで使われたように。
クレシーの戦いを記した史料の中に、英軍が「小さい鉄のペレット」を撃ち出したという記録があることは前に指摘しているが、実はこのペレットpallottoleは複数形である。そしてロスフルト・ガンの銃腔に深い傷跡が残されているところから考えると、どうやらロスフルト・ガンに代表されるPot de ferは散弾を撃ち出していた、と考えることができるのだ。散弾であればこれはどう見ても対人兵器。城壁を破壊するうえでは役に立たない。
結論。クレシーで英軍が火器を利用したのはおそらく事実だが、それは大砲というにはあまりに小さすぎた。むしろ「小砲」とでも呼んだ方がぴったりする兵器だったようだ。
ちなみに最初はこの記録に出てくる「火砲」について、持ち運びできるのだからハンドゴンのようなものかと思っていた。だが実際のPot de ferがかなり小さいサイズだとしたら、ここで使われた火砲もまたロスフルト・ガンのようなものだったかもしれない。運ぶ際には背中に担いで、使用する際にはMilemeteの絵のように台に乗せる。そういう使い方をする火器が存在した可能性はある。
あと、史実のクレシーで使われた火器が「小砲」に過ぎないとしても、漫画がそれに合わせる必要はないことを改めて述べておこう。フィクションなんだから史実とは無縁でも何の問題もない。でかい大砲にして派手に一発かました方が面白いと判断したなら、火器をいくらでかくしてもOKだ。
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