欧州の輪番射撃

 輪番射撃について欧州で有名なのは、前にも書いた通りオランダのマウリッツ"https://nl.wikipedia.org/wiki/Maurits_van_Oranje"だ。彼に宛てていとこのウィレム=ローデウェイク"https://nl.wikipedia.org/wiki/Willem_Lodewijk_van_Nassau-Dillenburg"が1594年に記した手紙の中で述べたカウンターマーチ戦術"http://s1109.photobucket.com/user/HackneyedScribe/media/William%20Countermarch_zps4hjwzy0r.png.html"が、まさに輪番射撃の手法を明確に示している。
 この「改革者マウリッツ」が広く知られるようになったのは、1950年代にMichael Robertsが提唱した軍事革命"https://en.wikipedia.org/wiki/Military_Revolution"論がきっかけだろう。Robertsは1560~1660年の100年間を軍事革命期としており、特にマウリッツとスウェーデンのグスタフ=アドルフの役割を重視した。
 ただし彼の意見に対しては後に異論も出ている。こちら"http://nassaublue.net/military-reform/millitary-reform-holland/"でも紹介されているが、Geoffrey Parkerは1500年からの300年と期間をもっと前後に広げているし、David Eltisはむしろ16世紀に話を絞り込んでいる"https://books.google.co.jp/books?id=I3XFsOc6QCIC"。そして、マウリッツをあまり重視しすぎるのは問題ではないかとの指摘には個人的に同意する。少なくとも輪番射撃については、マウリッツが歴史的に重要な役割を果たしたとは思えない。

 マウリッツのいとこがカウンターマーチについて手紙を書く7年前の1587年。英国のウィリアム・ギャラードがThe arte of vvarre"http://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A01504.0001.001"という書物をロンドンで出版した。その中のIn what sort Hargabuziers and Archers are to be guided to skirmishという項目で、彼は飛び道具の使い方について「列ごとに斉射し、そして第1列は射撃の後に最後尾に来るまで列の間を後退し、そこで装填し再び軍務に就くよう前の者に続く。こうして競り合いを続けることができる」と記している。
 まさにカウンターマーチ戦術そのものであり、この方法がマウリッツの導入前から存在し、知られていたことが分かる。ギャラードだけではない。軍事革命について論じたParker自身、マウリッツより前にカウンターマーチが存在した事例としてトーマス・ディグスの1579年の本、アルマダに対応すべく1588年に英国のマスケット銃兵に出された指示、ディグスの1590年の本、そしてスペインの古参兵マルティン・デ・エギルスが1592年に出版した本を紹介している("https://blackboard.angelo.edu/bbcswebdav/institution/LFA/CSS/Course%20Material/SEC6302/Readings/Lesson_2/Parker.pdf" p337)。
 一風変わった輪番射撃の例もある。1573年に死去したフランスのタヴァンヌ元帥"https://fr.wikipedia.org/wiki/Gaspard_de_Saulx"が記した回想録"https://books.google.co.jp/books?id=2YhDAAAAcAAJ"の中に、ドイツの騎兵が行った輪番射撃が紹介されているのだ。彼らは「第1列が左に回り、2列目が姿を見せ、彼らも同じことを行い、そして3列目と同様に次々に『リマソン』を行い、再装填のため左翼へと退却していった」(p269)。リマソンとはカラコール"https://en.wikipedia.org/wiki/Caracole"のことであり、歩兵だけでなく騎兵も交代で射撃をしていた様子がうかがえる。
 文献資料だけではない。画像史料を元に古い時代に輪番射撃が行われていた可能性を指摘する向きもある。例えば1526年にオスマン帝国とハンガリーが戦ったモハーチの戦い"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Moh%C3%A1cs"。それを描いた細密画"https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/1526-Sultan_Suleiman_during_the_Battle_of_Mohacs-Suleymanname.jpg"の中に、輪番射撃が描かれているというのだ。
 確かに左下を見ると、鎖でつないだ砲列の背後に、2列に並んだ銃兵が見える。前列の4人は装填中であり、後列の3人は前列の隙間から銃を構えて撃とうとしている。どうやらこちらはマウリッツ式のカウンターマーチ方式ではなく、各列の兵が動かないまま再装填を行う方法で輪番射撃をしているようだ。こちらの本"https://books.google.co.jp/books?id=hbyYCgAAQBAJ"ではこの図について「初期の輪番射撃を行っているように見える」と指摘。1605年にはオスマンの文献資料にも輪番射撃の記述が出てくるとしている(p241-242)。
 さらに、インターネットの掲示板"http://historum.com/war-military-history/45677-military-innovators-firearms-2.html"でしか見たことはないが、1514年にポーランドとモスクワ大公国との間で行われたオルシャの戦い"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Orsha"でも輪番射撃が行われたとの説がある。証拠として挙げられているのはこちらの絵"http://www.historycy.org/index.php?act=Attach&type=post&id=17793.jpg"だ。
 この絵は16世紀に生きたドイツ人の画家ハンス・クレル"https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Krell"が描いたものとされている。絵そのもの"https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Krell_Battle_of_Orsha_01.jpg"は1524~1530年ごろに書かれたと見られ、時期としてはかなり古い。またクレル自身がこの戦いに参加していたとの説もある。銃手は3列になり、最前列が銃を構え、2列目が装填し、3列目は斜め上に銃口を向けている。モハーチの戦いを描いたものに比べると、本当に輪番射撃なのかどうか分かりにくいところがあるのは確かだが、可能性は否定できない。
 そして何度も書いている通り、1522年のビコッカの戦い"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Bicocca"がある。ジョヴィオが書いた本に具体的な射撃法が紹介されていることは前にも述べた"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54583029.html"。撃った後にしゃがみこんで装填するというやり方は、上に紹介した1605年のイェニチェリ向けマニュアルと同じであり、マウリッツに代表されるカウンターマーチとは異なる輪番射撃法としてこちらも広く使われていた様子がうかがえる。

 もちろんマウリッツの改革は輪番射撃だけではない。射撃の手順を図像としてマニュアル化し、出版した例"https://books.google.co.jp/books?id=hMlLAAAAcAAJ"など、その取り組みは多岐にわたる。だから彼の功績を輪番射撃の問題だけで否定するのは無理筋だろう。
 それでも個人的にはマウリッツの時代が画期であったとは思えない。むしろEltisの言う16世紀の100年間が革命期だったという指摘の方が納得いく。その最大の理由は、この時期に明確に欧州が中国より軍事技術で優位に立ったことにある。中国の軍事史に詳しいTonio Andradeの書いた本の書評"http://imperialglobalexeter.com/2016/01/27/the-gunpowder-age-china-military-innovation-and-the-rise-of-the-west-in-world-history/"によれば、欧州の火器が中国を抜いたのは15世紀の末期(アルケブスが生まれた頃)。まさに革命的な出来事だ。
 ただしこの優位はそれほど一方的ではなかった模様。Andradeによれば1522年から18世紀初頭までは「均衡の時代」であり、中国が西洋の軍事技術を導入して追撃を行っていた時代だそうだ。以前にも紹介した"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54315361.html"ように、「国性爺合戦」の頃には艦船と要塞では西洋に劣るものの、銃砲や歩兵訓練では両者は「均衡」に達していたという。
 そうだとするなら、やはり最大の「軍事革命」は産業革命だった、と考える方が適切なのかもしれない。西と東の「大分岐」をもたらしたのは間違いなく産業革命。インドを除いて植民地化が進んでいなかった旧世界が相次いで欧州の軍門に下ったのも産業革命後の19世紀だ。16世紀前後から始まる「軍事革命」は、その成果を見る限りあまり過大評価するべきものではないかもしれない。
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