買ってしまった、The Best Antiwar Song Ever Written"
http://www.amazon.co.jp/dp/1935243896"。前に見た時はアマゾンにもなく、いかにも自費出版ぽいので入手は難しいと思っていたのだが、最近見たら普通に日本のアマゾンでも購入できてしまったのが理由。註を含めても70ページ強と短い本であり、あっという間に読める。でも内容はなかなか濃密だ。
閑話休題。この本に書かれているのは、基本的にこれまで紹介したことと同じだ。つまり「あなたと知らずに」が「ジョニーが凱旋するとき」のオリジナルであるという主張は根拠に乏しく、むしろ「凱旋」の方が古いと思われること。「あなたと知らずに」はしばしば反戦歌として紹介されているが、オリジナルの曲は反戦というよりコミックソングとしてつくられ、受け入れられていたこと。それがどうして変化していったのかを丁寧に追った本である。
「凱旋」の元になったのはJohnny, Fill Up the Bowlという曲であり、さらにその旋律がJohn Anderson, My Joというスコットランドの曲に似ていることはこれまでも紹介してきた。さらに遡ると1611年に記録が残っているThe Three Ravensという曲"
https://www.youtube.com/watch?v=jKpWEnN9bpc"に至るらしいが、正直ここまでくると「凱旋」に似ているかどうかわかりにくいことも書いた。
一方、1867年にGeogheganが作曲した「あなたと知らずに」の方は、8分の6拍子というところは同じだが楽譜の見た目はかなり違う。似ている部分もないではないが、少なくとも冒頭部分は全く別物だろう。Lighterは「輪郭と印象は似ている」、20世紀初頭にGeogheganの楽譜を見たHughesは「旋律は『ジョニーが凱旋するとき』を思い起こさせるものの、明らかに劣ったものだ」としている。少なくともJohn Andersonより似ていないのは間違いない。
Lighterは他に、凱旋のメロディーがスコットランドの曲に由来する可能性として、Fill Up the Bowlに出てくるFoot balls, Foot ballsという掛け声のような部分に注目している。どうやらスコットランドの曲には掛け声としてFu'bowl! Fu'bowl!という(意味のない)フレーズがあるそうで、それがFoot ballsやFill Up the Bowlというフレーズに変化したと考えられるのだそうだ。この旋律はしばしばアイルランド風と言われているのだが、実際はスコットランド風なのかもしれない。
Geogheganがコミックソングとしてつくった曲が、どのように世間に受け入れられていったかの変化についても詳細に追っている。最初、流行歌として(おそらく凱旋のパロディー的に)つくられたこの曲は、滑稽な歌として英国やアイルランドで受け入れられた。同時期に流行っていた「凱旋」の旋律でこの歌詞を歌うこともあったようだ。
だが20年も経過するとこの歌はもっと起源が古く、ナポレオン戦争前後からあったと主張する者が出てくる。論拠の1つは歌詞の中に出てくるSulloonで、これはCeylonであり英軍がセイロンで戦争をしたのは19世紀初頭だから、というのが論拠である。だがLighterによればそもそもGeogheganのオリジナルにはSulloonの文字はなく、その直後に出た別の歌詞に入ってきたsaloam(おそらく聖書にあるSiloamの池)が変化したものだと思われる。つまりこの歌とセイロンは無関係ってわけだ。
にもかかわらず曲が古いという主張を受け入れる人がいた。具体的にはアイルランドの愛国者たちで、彼らはこの歌がアイルランドの民族的性格を示したものだとみなし、それを特に英国に対する反対運動に活用しようとしたそうだ。第一次大戦中からこの動きが目立つようになり、「あなたと知らずに」を英国によるアイルランド兵動員に対する抵抗の象徴とする主張が出てきたという。
それでもこの時点では当初この歌が持っていた滑稽さは失われていなかった。それが消えたのはおそらく第二次大戦後。それまで腕や脚を失って戦場から帰ってくる兵士を笑いの対象にしていた客たちが、この歌をもっと深刻で恐ろしい悲劇と見るようになった。かくして「英国に対するアイルランドの抵抗」という狭い対象ではなく「戦争に対する抵抗」というより幅広い意味でこの歌を受け入れる人たちが増え、多数となり、挙句の果てに「凱旋」は反戦歌をプロパガンダに変えたという主張までが登場し、Lighterがこの本を書くまでそれが事実だと思われるようになってすらいた。曲ができてから150年も経過していないのに、随分な変わりようである。
しかし何より興味深いのは、現代人にとってはどうみても残酷としか思えないこの曲を「面白がって」聞いていた19世紀人の感覚だろう。驚いたことに南北戦争の傷痍兵の前でこの曲が演じられた時にすら、歌の中のジョニーと同じく身体の一部を失った元兵士たちが愉快そうにこの曲を聴いていたという記録が残っている。
以前紹介したピンカーの「暴力の人類史」では、時とともにホモサピエンスの暴力的な性向がどんどん減少してきたと主張していた"
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55350978.html"。この「あなたと知らずに」を受け入れる客の反応は、まさにピンカーの主張と軌を一にしている。最初はジョニーを笑いものにしていた連中が、やがてそこに愛国心の発露を見出し、ついには犠牲者として同情の涙を流す。どうやら現代人は、ほんの100年ちょっと前の人間と比べてもかなり「優しい」性格になっているようだ。
コメント