ランヌの台詞その1

 ナポレオン漫画最新号ではのっけからアスペルン=エスリングでランヌの脚が吹っ飛ばされかけている。あれおかしいな、確か先月はまだベルティエが叱られていたところで、その後にアーベンスベルクやエックミュールの戦いがあり、そして舞台をウィーン近くまで移してそれからようやくアスペルンのはずだが、と思っていたらこの漫画でたまにある時間飛ばしだった。最近、かなり話が加速するようになってきたが、さすがにここまで一気に進めるつもりはなかったようだ。

 今回まず取り上げるのはスペインからやってきたランヌの「陛下はチンギス・ハン、俺たちはモンゴル人に例えられているぜ」というフレーズだ。実はこの言い回し、あまり多くは見かけない。google bookで探してみても1986年出版のMarie-Louiseという本("https://books.google.co.jp/books?id=SAwwKhPq2FQC" p56)、1969年出版のLe gendre des Césars("https://books.google.co.jp/books?id=E2IOAQAAMAAJ" p16)、1952年出版のNapoléon en campagne("https://books.google.co.jp/books?id=N7E7AAAAMAAJ" p266)といったフランス語文献にちらほら出てくる程度。
 問題なのはいずれも20世紀になって出版された本ばかりであること。要するに古いソースが見当たらないのだ。見つけ出した最も古い文献は1913年出版の1809 Napoléon en Allemagne"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k930968f"なる本だ。著者名はEdouard Gachot。

 まさかまたこいつ"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/52627742.html"の名を目にすることがあろうとは。

 Gachotの名を見た時点でこの話は根拠のない嘘であると判断する。まあGachotはランヌ自身の発言としてチンギス・カンやモンゴル人といった単語を出しているわけではなく、あくまで地の文で触れているだけだから、まだましだとは言える。それ以降の著者になると堂々とランヌの発言にしてしまっているのだが、それはさすがに拙い。
 ではランヌはこの時に実際には何と言ったのだろうか。1891年に出版されたランヌの伝記"https://books.google.co.jp/books?id=vAOhVmWJONMC"には、彼がスペインでの戦争について妻に記した手紙の引用が掲載されている。

「これは政治的戦争だと言われている。私には分からないが、これが反人間的で反理性的な戦争なのは事実だ。なぜなら王冠を征服するにはまずそれを守っている国民を殺す必要があり、それはつらく長いものだ。人間の信念をこのように攻撃するのは大きな間違いであり大きな害悪である。良心は力に勝り、力のように摩耗することもないため、これは決して終わることのない戦争になる」
p274

 おそらく元ネタはヴィユメンが1857年出版の雑誌に記した記事("https://books.google.co.jp/books?id=pIcNAAAAQAAJ" p897)であり、この手紙の現物が本当にあるかどうかまでは分からない。
 もう1つ、この伝記で紹介されているのはスペインからドイツへ向かう途中、ボルドーで昔からの知り合いであるギヨンに出会ったランヌが言ったという台詞だ。曰く「おいギヨン、君は俺に、このくそったれのボナパルトが俺たち全員をあの世に送ろうとしている、と言わせたいんだろう!」(p276)。伝記では一部が伏字になっているが、全文はこちら"http://www.napoleon.org/fr/salle_lecture/biographies/files/lannesjean_montebello.asp"で確認できる。
 このフレーズは、この伝記以前の文献には見当たらない。だからこれまたどこまで正確な話なのか裏付けもできない。それに紹介した2つの文章は、事実だとしてもナポレオンの前で話した言葉ではなく、つまり漫画のあの場面に当てはめられるものでもない。

 ランヌが「皇帝に話した」とされる文章としては、同じ伝記に次のようなものが紹介されている。「私は戦争を恐れており、そのことを皇帝に話した。戦争の最初の騒音は私をおののかせるが、最初の一歩を踏み出すや私は仕事のことだけを考える(中略)。あの連隊(その時、建物の窓の下を通り過ぎていた)の軍楽が聞こえるだろう。そう、あれは兵たちの目をくらませ、気づかせることなく死へと導くためのものだ! 全ての士官たちは戦場で、あたかも結婚式にいるかのように兵士たちの目に映らなければならない」(p273)
 この台詞は彼がアスペルンの戦場に向かうべくドナウを渡る前日に主治医との間に交わされたもので、この主治医がランヌの義母ゲエヌク夫人に書き伝えたという。これまたこの伝記以前には見当たらないのだが、おそらくランヌの子孫と思われるCharles Lannes"http://data.bnf.fr/10722201/charles_lannes/"が記した伝記"https://books.google.co.jp/books?id=ORVoAAAAMAAJ"にも紹介されている話なので、事実である可能性は高そうだ。
 ちなみにこの台詞、日本語ではしばしば「結婚式の夜の花婿のように」とか「花婿のごとく」と翻訳されている"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8C"のだが、原文のnoceは「結婚式」や「パーティーの出席者」という意味であり"http://www.wordreference.com/fren/noce"、花婿mariéとは意味が違う。単に華やかな場所にいるかのように、という程度のニュアンスだと思われる。
 しかしこのフレーズも「チンギス・カン」や「モンゴル人」とは別物と見るべきだろう。ナポレオンが繰り広げる戦争そのものに対する嫌悪感を述べたものではなく、あくまで戦争一般に対するランヌの感情を表現したものに過ぎない。Chrisawnによればランヌは息子に対して「決して恐れたことがないというヤツは誰であれ嘘つきであり、愚か者であり、下種野郎だ」("https://books.google.co.jp/books?id=k0NDkb1RNOIC" p3)とも言ったそうだが、これも個別の戦争に対する見解ではない。

 ではランヌはナポレオンに面と向かってその戦争を非難することはなかったのか。「いや、あった」と主張する人物が1人いる。メッテルニヒだ。しかも彼がソースとして持ち出したのは、他ならぬナポレオン自身。回想録第1巻"https://books.google.co.jp/books?id=v2LXAAAAMAAJ"の脚注部分で、メッテルニヒは以下のように主張している。

「ランヌ元帥はアスペルンの戦いで致命傷を負った。フランス軍の公報は彼が言ったとされる言葉を報告している。以下はナポレオン自身が私に言ったことだ。『そなたは私がランヌの口に言わせた文章を読んだだろうが、彼はそんなこと考えもしなかっただろう! 彼は私の名を口にし、それを私に言い、そして私はすぐ彼が死んだと宣言した。ランヌは心底から私を憎んでいた。無神論者が死の瞬間に神を呼ぶように、彼は私を名づけた。ランヌは私を名づけ、私は彼がはっきり死んだのだとみなした』」
p284

 本当にナポレオンがこんなことを言ったのかは分からない。だがこれが事実なら、スペインから駆けつけた時ではなく、死ぬ最後の瞬間に、ランヌはナポレオンを非難したことになる。
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