臣不知罪。乞垂審察。

 歴史関係ではナポレオニックの話ばかり書いているが、他にも興味を持つ時代はある。その一つが古代日本。今日NHKでやっていた蘇我入鹿に関する話などについても関心があるし、番組で話題の中心になっていた甘橿丘にも行ったことがある。
 番組で指摘している「645年の乙巳の変の時点では大化の改新は行われなかった」という話自体は昔からよく言われていることであり、さして珍しい指摘ではない。面白いのはより細かい部分だ。最近の飛鳥における発掘調査の結果から飛鳥が百済の扶余に似た構造をしていたという指摘だとか、唐の国が持っていた楼船だとか、「日本書紀の謎を解く」の著者でもある森博達氏による大化の改新関連の疑惑ある記述だとか、いずれもなかなかに興味深い話だ。
 番組の結論によれば蘇我入鹿は海外情勢に通じた改革派であり、それに対してクーデターを起こした連中はむしろ改革に反対する守旧派だったということになる。クーデター派が国際情勢の変化に対応して政策変更を強いられるようになったのは白村江の戦い以降。あの亀の水盤などを作っていたころは、国際情勢を無視した政策が行われていた時期だったという。なるほど「狂心の渠」と呼ばれたのもむべなるかなだ。
 後世から批判を浴びる人間が実は改革派で(江戸時代の田沼意次とか)、それに対抗した連中が実は守旧派だったという話は結構多い。その意味ではさしておかしい結論ではないが、この番組のいい点はその理由付けとして発掘結果を幅広く採用している点だ。発掘した結果はいわば物証。それに対して歴史書は目撃談、それも場合によっては改竄されている可能性のある談話だ。どちらをより重視すべきなのかは明らかだろう。
 もちろん、この番組にも問題と思われる部分はある。例えば蘇我入鹿が改革派だったとして、彼が本当に天皇を守ろうとしていたと言い切るのはいかがなものだろうか。蘇我家の施設が宮を守るように配置されていたと番組では言っているが、あれは逆に言えば宮を取り囲んで天皇を自らの思うままに操ろうとしていた結果とも考えられる。
 それともう一つ、おかしいと感じたのは白村江の戦いに関する描写。番組ではいかにも巨大な楼船を使って小さな倭国の船を撃退したかのように描かれていたが、日本書紀にある白村江の戦いに関する描写には「大唐便自左右夾船繞戰」とあるのだ。唐の船は倭の船を左右から囲むようにして戦った。大きな船で撃退したというより、巧妙な機動によって統制の取れていない倭水軍を撃退したと考えた方がいい描写である。
 白村江について最も詳細に記しているのは実は日本書紀。大陸諸国の文献ではもっと大雑把な記述しか載っていない。戦いを再現するには日本書紀に頼るしかないのだ。全体としてはいい番組だったが、あの戦いの描写は怪しい。

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