それによると矢田訳「若草物語」の発行日は「奥付によれば1934年9月20日」、一方で同年10月4日の読売新聞夕刊に載っていた広告によれば「映画の封切りは(中略)同年10月4日」だったという。微妙な差で本の方が先に出たことになるが、それにしても時期が接近しすぎているのがおかしい。おまけに新聞広告には「『四日封切』、『若草物語 矢田津世子譯編 少女畫報社発行(中略)全国書店にあり』との記述」が見られるという。つまり映画と小説をまとめてPRしているのだ。
レファレンスでは「それ以上の詳細は判明しませんでした」と指摘するにとどめているが、ここから一つの想像ができる。つまりこの時、「若草物語」を使って「メディアミックス」的な展開がなされたのではないか、という想像だ。実際この書籍版「若草物語」の表紙"
http://kikoubon.com/yada.html"にはまさに映画の画像が使われており、その可能性は高い。
つまり「若草物語」は映画の配給に合わせて大々的なメディアミックスを展開しようとした興行主が、そのメディアミックスをつなげるキーワードとして編み出したものではないか、と想像できるのだ。これまで使われた訳語である「小婦人」や「四姉妹」といった地味なフレーズでは大衆受けは難しい。何か気の利いた題名を、Frozenを「アナと雪の女王」にするくらい大胆でもいいから、人々に強く印象付ける言葉を。そうやってひねり出したのが「若草物語」なのではなかろうか。
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