テルシオ

 以前こちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54583029.html"で、欧州近代初期の戦争で腰を下ろしたまま銃の装填が可能かという話をした。18世紀になるとできないという主張がなされており、その理由はマスケットの長さと隊列の密集度合いにあるという。ただし、その条件は16世紀頃には当てはまらなかったのではないかと考えた。特に銃の長さに関していえば、150センチを超えるマスケット銃と、120センチ程度のアルケブス銃という違いがあったのは事実だ。
 実際のところ16世紀初頭のマスケット銃はさらに大きかったようで、こちら"https://books.google.co.jp/books?id=oBHJ1eK_tcoC"によれば初期のスペイン式マスケット銃は長さ6フィート(約180センチ)に及んだという。さすがにその後はもう少し短くなり、アメリカ独立戦争時に使われたマスケット銃は単体だと5フィート程度になっていた("https://books.google.co.jp/books?id=ZtQeCAAAQBAJ" p61)。ただしこれに銃剣を加えれば(銃剣の長さが33~46センチあるため)やはり6フィートを超えている。4フィートのアルケブス銃より扱いは大変だっただろう。

 一方、兵士の密集度については、スペインのテルシオについて記したページ"http://forum.milua.org/archive/TactiqueUk.htm"の中に以下のような文章がある。

「方型陣では全ての兵が0.32×0.32メートルの四角形を占めている。槍兵は側面では隣の者と0.64メートル、前後では1.92メートルの距離がある。銃兵ではそれぞれの数値は側面で0.96、背後で1.92-2.00となる」

 これが事実なら火縄式のアルケブスを持つ銃兵の場合、隣の人間との間に約1メートルの隙間があったことになる。「肘が接するように」(Règlement Concernant L'Exercice Et Les Manoeuvres De L'Infanterie"https://books.google.co.jp/books?id=pxdLAAAAcAAJ" p66など)隊列を組んでいたフランス革命期のような燧石式マスケット銃の時代より、隙間に余裕のある布陣だったと言えるだろう。問題はこの説がどこまで正しいのか、だ。
 そこで参考になるのが、このページに出てくるRobert Barretなる人名。こちら"https://archive.org/details/dictionaryofnati03stepuoft"で調べてみると、彼は軍事ライター兼詩人であり、16世紀にフランス、オランダ、イタリア及びスペイン軍に従軍していたという(p279-280)。そしてありがたいことに、彼が1598年に出版したThe theorike and practike of moderne vvarresという本の内容がこちら"http://quod.lib.umich.edu/cgi/t/text/text-idx?c=eebo;idno=A04863"で読めるのだ。
 この本によれば、槍兵の占める場所は「幅(少なくとも)3フィート、長さ7フィート」、馬匹は「幅5フィート、長さ10フィート」(p234)になるという。そしてhargubuzierについては「持ち場が長さ4フィート、幅4フィート」(p237)必要だとしている。つまりアルケブス銃兵の配置には前後1.2メートルの余裕があったことになるわけだ。肘が接するように密集していたマスケット銃兵の時代とはやはり異なっていたと考えてもよさそうだ。

 ちなみにこちら"https://crossfireamersfoort.wordpress.com/2012/07/02/the-spanish-army-of-the-thirty-years-war/"には、連続斉射を編み出したのはオランダのマウリッツではなく、それ以前に既にスペイン軍が成し遂げていたと書かれている。最初に紹介したエントリーに載っているイタリア戦争の事例("https://books.google.co.jp/books?id=q7XZht98LW4C" p61)がそれに当てはまるのかもしれない。いずれにせよ、槍兵こそが主力だったスイス兵の時代からPike and Shotの時代を経て次第に火力が重要になっていったことを示す流れの中に位置するのがテルシオだと考えていいのだろう。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック