オージュローがカスティリオーネ公の称号を得たのは、彼がカスティリオーネ戦役で活躍したためと言われている。こちら"
http://grenada2.blog.fc2.com/blog-entry-3.html"では彼の活動について「1796年8月3日のカスティリオーネの戦いは、オージュローの名声を不動のものにしました。並み居る将軍たちが退却を進言した中で、ただ一人オージュローのみが戦いを主張し、軍隊を救ったということになっている」と説明している。
「Eltingによるとこの伝説の出所は、オージュロー本人の言葉」となっているが、そのソースはKochの書いた1848年出版のMémoires de Massena, Tome Deuxième."
https://books.google.co.jp/books?id=b8bhSpbSdAoC"。同書のp458から「カスティリオーネの戦いについての匿名の記録(オージュロー将軍のものとされている)」なるものが掲載されており、その中にオージュローが1人だけ退却に反対した話が載っている(p462-464)。
Kochがどこでこの記録を手に入れたのかは不明だが、彼が1819年に出版したMémoires pour servir à l'histoire de la campagne de 1814, Tome Second."
https://books.google.co.jp/books?id=D1BCAAAAYAAJ"にも同じ話が載っているので、彼がこの史料を比較的古くから入手していたのは確かだろう(p232-236)。
だが厳密にいえばこれは匿名の史料だ。従ってこの伝説の出所については「オージュロー本人の言葉かもしれない」程度にとどめておくのが実際は安全。でもまあKochがそう指摘している点を踏まえるなら、ほぼオージュローが出所であろうと推測してもいいんだろう。
出所はともかく、この逸話の信頼性は決して高くない。それを事細かに説明しているのが1903年出版のBonaparte vor Mantua"
http://www.simmonsgames.com/research/authors/Hortig/BonaparteVorMantua/TOCGerman.html"。同書の12章"
http://www.simmonsgames.com/research/authors/Hortig/BonaparteVorMantua/XIIGerman.html"には、オージュローに関する挿話と、その問題点とが並べられている。
逸話によればオージュローが1人で退却に反対したのはブレシアで開かれた軍事会議の時。オージュローとボナパルトが戦役中にブレシアにいたのは8月1~2日だけであり、従って会議が開かれたのもそのタイミングだと考えられる。
その会議ではボナパルトが将軍たちを集め、ミラノに近いアッダ河の背後まで後退する方法と、とどまって戦う方法を示して意見を求めたという。だがその前にボナパルトはまず現状についての分析を説明しているのだが、問題はこの分析内容。Bonaparte vor Mantuaの著者は「軍の状況は全く正確に描かれていない」と手厳しい指摘をしている。
何より内容に7月30日や31日に生じた出来事が言及されており、部下たちにしてみれば何を今更な話が多いのだ。例えばセリュリエにマントヴァ解囲を命じたこと、マセナとジュベールがラ=コロナやリヴォリを失ったこと、ソーレがサロを放棄してデセンツァーノに交代したことなどがそうだ。ブレシアまで後退してきた時点で話す内容としては古すぎる。
もっと問題なのは「ギウー准将が[サロで]1800人とともになお建物を守っている」という言及。「ボナパルトはこの時間にはギウーが解放されていたことを知っていたはず」なのだ(ギウーの解放は7月31日)。なのにこの挿話のボナパルトは「弾薬と食料を失い、あらゆる連絡線を断たれた彼がすぐ数的優位に屈しかねない」と懸念を示している。どう考えてもおかしい話だ。
さらに彼は「軍を救うためにどうしたらいいか」と部下に問いかけている。だがこの時点でフランス軍主力はブレシアに集結しており、一度は遮断されたミラノへの連絡線を回復することに成功している(加えてセリュリエ師団が予備となる連絡線も守っている)。こうした「謎」の存在は、この逸話の信頼性に対する疑問をもたらすものだ。
Kochの本にはランドリューが書いたとされる別の逸話も載っている(p472-476)。8月2日、ブレシアを出発しモンテキアーロまで戻ってきたボナパルトが、カスティリオーネを守っているはずのヴァレットが退却してきたのを見て激怒するという話だ。カスティリオーネが放棄されたのを見たボナパルトは、アッダ河まで退却しなければならないと言い出すが、そこに口を挟んできたのがオージュロー。彼はおどけた口調でボナパルトを落ち着かせ、退却せずに抵抗する方向へうまく話をまとめたという。
この話もまたどこまで事実かは分からない。ただヴァレットがこの失敗を理由に一度は職務を停止されたという話は伝わっている("
https://books.google.co.jp/books?id=VQYxAQAAIAAJ" p540n)ので、彼を巡って何かトラブルがあったことは事実だろう。結果としてヴァレットの退却はそれほど致命傷にならなかったのだが、wikipedia"
https://fr.wikipedia.org/wiki/Antoine_Joseph_Marie_Valette"によれば一度はパリに戻されたという。
でも結局は軍務に復活し、レジオン=ドヌール勲章も手に入れているのだから、そう悪い人生でもあるまい。あの時代に生き延びたという意味では、勝ち組とすら言えるかもしれない。
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