Major F.D.Loganの"Napoleon's Campaign in Poland"読了。といっても45ページくらいしかない本なのであっという間に読みきってしまったのだが。
第一次大戦前にどこかの雑誌に載った文章をまとめたものだが、問題はアイラウの記述が一部欠落しているのと、フリートラントについてもデュポン師団の前進が始まった瞬間にやはり記述が欠落していきなり戦役のまとめにつながっている点だ。ページのナンバーには欠落はないので、元の雑誌から取り出した文章を一冊の本にする段階で何ページか採録し損ねたところがあるのだろう。おかげでダヴー第3軍団がいつアイラウの戦場に到達したのか、セナルモンによる砲撃の実情はどうだったのか、といった肝心なところがわからずじまいだ。
しかし、その点を除けば短い本の割に中身はいい。例えば他の本ではほとんど紹介されていないことだが、戦役が始まる前にナポレオンがどこに補給拠点や病院を用意したかといった軍管理上の活動がきちんと記されている。軍事史に関する本はほとんど第一線にのみ注目して後方で何が行われていたのかを記していないものが多いのだが、この本は珍しい部類に入る。
特に面白いのが病院に関する記述だ。戦役終了時にフランス軍はケーニヒスベルク、エルビンク、マリエンベルク、マリエンヴェルダー、ディルシャウなどに病院を設置しているが、その内実が興味深い。患者の内訳を見ると負傷者は全体のたった24%。当時の戦争の実情を考えるならこれはまあ想像の範囲内だ。圧倒的に多いのが熱病の53%というのも(熱病の中身は不明だが)不思議でも何でもない。驚くのは性病16%という数値。当時の軍隊の後方には大勢の娼婦がくっついて歩いていたという話はよく知られているが、彼女らは敵の銃弾の3分の2程度のダメージを軍に与えていた模様。恐ろしい。そして、壊血病も7%いる。新鮮な野菜の入手が難しかったことの証左であろう。
この時代について記した文章を見ると、大概病院はろくでもないところとして紹介されている。一度そこに入ると生きて出ることすら難しく、多くの兵はそんなところへ行くくらいならケガを押して連隊についていくのを望んだとか。だが、この本によると病院の死亡率は1000人中95人。1806年10月1日から1808年10月31日までに病院で手当てを受けた42万1819人のうち、死んだのは3万1916人にとどまったという。現代の感覚で言えばそれでもかなり高い死亡率なのだろうが、一般に言われている当時の病院の印象からは随分と異なっているのだ。
もう一つ、病院以外について。コナン・ドイルのジェラール物に、ナポレオンがニセの伝令を仕立て上げる話がある。そしてどうやらこの戦役ではダヴーがそれを実際にやったらしい。嘘を記した伝令を出してわざと連合軍に捕まえさせ、相手を混乱させようとしたのだとか。本当かどうかは知らないが、裏付けのある話だとすれば「事実は小説並みに奇なり」と言える。
もう一つ、もっと短い30ページ強の本も読了。Charles Richard Vaughanの"Narrative of the Siege of Zaragoza"という1809年に出版された本だ。前年に行われたルフェーブル=ドヌーエットによる一回目のサラゴサ包囲の際に現場に居合わせた英国人が書いたものらしい。中身でそれほど注目する話はないのだが、あのアウグスティナが活躍を認められて砲兵と同額の給与をもらっていたということが紹介されている。
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