装丁に関する不満はここまでにしておいて内容について触れよう。まず原題のThe Son Also Risesがヘミングウェイの「日はまた昇る」The Sun Also Risesをなぞったものであることは言うまでもない。ちなみに著者の前作の原題はA Farewell to Alms"http://press.princeton.edu/titles/8461.html"。よほどヘミングウェイが好きなのだろう。 色々なところで紹介されているが、著者は各国の「珍しい姓」を使って社会的流動性を調べている。通常、社会的流動性は親子間(父と息子)で調べるものであり、その統計に基づいて出てきた結果は「グレート・ギャツビー・カーブ」"https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Gatsby_curve"などと呼ばれたりしている。そこに出てくる親子の収入の相関係数は北欧諸国で0.2、他の先進国で0.3~0.5、格差の大きい南米や中国で0.6前後となっている。 ところが著者が姓を使って調べた結果、出てきた「親世代と子世代」の相関係数は0.75前後と、はるかに高い数字になった(こちら"http://www.pbs.org/newshour/making-sense/cruel-key-individual-prosperity-choosing-right-ancestors/"にある2つのグラフ参照)。これは北欧(スウェーデン)のような平等主義的政策をとっている国でも米国のような自由主義的政策の国でも、中世と現代の英国両方でも、文化大革命で階級の敵を攻撃しまくった中国でも、均質性の高さが目立つ日韓でも、そしてチリのような格差の大きい国でも、基本的に同じである。どこを見てもいつの時代でも、世代間相関係数は0.75前後に収斂しているのだ。 もちろん例外もある。最も大きな事例はインドだ。カースト制が強く根づき、結婚がほぼカースト内に限られてカースト間ではほどんど行われていないインドでは相関係数が0.75ではなく、もっと高い数字になる。つまり、世界の社会的流動性は一般に思われているよりもずっと低いし、インドでは特に極端に低いということになる。 相関係数が0.3程度なら、3世代(作中では約90年)もすれば社会的基盤に対する祖先の影響はほぼなくなるはずだ。だがこれが0.75になると10世代くらいは平気で影響が続く。インドのような国になればそれをさらに超える。300年前、日本で言えば江戸時代の祖先の階級が、21世紀に生きる現代日本人の社会的基盤に影響を与えていることになる。実際、著者の下で学んでいた学生の書いた論文"http://www.econ.ucdavis.edu/faculty/gclark/The%20Son%20Also%20Rises/Japan%202012.pdf"の題名は「サムライ階級の驚くべき持続性」だ。
姓を使った分析だと、なぜ親子関係を直接調べたものより相関係数が高くなるのか。著者は生物学的なアナロジーを持ち出す。それぞれの個人には社会的基盤をもたらす「遺伝子型」と、それが現実の収入や職業に現れる「表現型」がある。そして表現型の方は様々なランダム要素によって変化する。たまたま有名大学の入学に失敗するとか、社会的地位は高いが収入は少ない職業を選ぶといった動きがあるだけで、親子の収入が大きく変わることがある。 しかし「姓」に着目してある世代の大勢の人間に注目すれば、ランダム要素は打ち消し合ってゼロに近づく。ランダム要素の多い「表現型」よりも、本当の実力を示す「遺伝子型」がよりはっきり見えてくる訳だ。 さらに著者はこの現象を説明するため、社会的基盤をもたらす「遺伝子型」は、文字通りそのほとんどが生物学的遺伝によって次世代へ伝えられるというモデルを提唱する。財産や文化的環境はほとんど関係なく(関係あるとしてもランダム要素に繰り込まれる程度だろうか)、生まれた時にどの親からどんな生物学的資質を引き継ぐかによって社会的基盤の遺伝子型が決まってくるというわけだ。 著者は様々な事例を引き合いに出してこのモデルに当てはまることを証明していく。文化大革命で攻撃された知識人階級が今なお中国の上層部を占めていること、中世も今も相関係数が変わらないこと、同質性の高い国でも、南米のように格差の激しい国でもやはり相関係数が同じであること。いずれも財産などが社会的基盤にの継承にあまり影響しないことを示している。また養子の所得が養親ではなく実の親と相関性が高まることから、家庭の文化的環境よりも生物学的遺伝の影響が大きいとみられることも指摘している。唯一、社会的流動性に影響しているのは結婚相手を限っているカースト制のインド。生物学的な親となる配偶者選択のみが、親世代と子世代の相関係数を変える力を持っているのだ。 著者のモデルから導き出される社会的流動性の現実は、現代的価値観からすると極めてシュールである。子供の成功はどの両親から生まれてくるかでほぼ決まる。もちろんランダム要素の影響があるので絶対に決まる訳ではないが、たとえ1人の子供が一族の社会的地位からずれたとしても他の子供は一族と同じ水準に達する可能性が高いし、ずれた者にしてもその子孫になれば再び一族と同じ水準まで戻る可能性が高い。まさに子孫は再び繁栄する(The Son Also Rises)のだ。 そこにおいて財産や文化的環境の影響はあまり関係ない。スウェーデンのようにあらゆる子どもたちに教育の機会を均等に与える努力をしても、毛沢東のように社会階層の高い知識層を組織的に破壊しようと試みても、結局社会的地位の高い一族の子孫はやはり社会的地位が高くなる。逆に南米や中世英国のように制度的あるいは実質的な身分制を残している国でも、社会的地位を引き継ぐ度合いは現代先進国と同じ。制度や慣習も社会的基盤への影響は限定的でしかない。 ただし、どんなに高いといっても相関係数は1ではなく、長い目で見ればやがては平均への回帰に見舞われる。社会の上層部にいる人間が配偶者を選ぼうとすれば自分たちより下の階級から選ぶ可能性が高まり、結果として生まれる子供はより平均に近い遺伝子型を持つことになるからだ。それを避ける手段はやはりインドのカースト制。あの制度がここまで長く続いている大きな要因は婚姻の制限にあるというのが、著者の見立てだ。
この見解が現代的な価値観にとって問題含みなのは明らかだろう。今の社会はその大半は身分や門地による差別を否定した実績主義社会である。だが著者の指摘が正しいのなら、そもそも歴史的に見て実績主義でなかった社会は存在しなかったことになる。世界は思ったより公平である、と著者は指摘する。上流階級の連中が上流階級でいられるのは、彼らが財産や地位に恵まれていたからではなく、彼らがその階級にふさわしい実力を生まれながらに持っていたから、という話になってしまうのだ。 そこから導き出される「望ましい格差是正策」は何か。機会平等ではない。いくら機会を平等にしても遺伝によって得た能力差によって結局は社会的流動性に乏しい格差がつく。だから結果の平等こそが必要な政策になる。スウェーデン式の、結果としてもあまり差の出ないような社会制度こそが現実的な対策である。著者はそう考えているようだ。 そして子育てをする親への忠告はただ1つ。いい配偶者を探せ。その際には本人や親だけでなく、親族一同まで調べ上げて「平均への回帰」に抵抗しやすそうな相手を選べ。そして、後は子供をたくさん作って結果を待て。教育に力を入れても意味はないし、資産の多寡もあまり関係ないのだから、遺伝子の力を信じて人生を楽しめばいい。May the gene be with you.
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