ネット上では、時々ライトノベルに出てくる「俺TUEEEE」系主人公への苦言が見られる。異世界ものに見られる「現代社会の知識を生かして無双する」パターンに対しても同様。それに対してこの作品は違う、というのがよくある紹介だ。たとえばこちら"
http://kousyou.cc/archives/14105"の書評でも「すっかりメジャーになった異世界転生無双物の多くとは一線を画した地に足がついた作品」と評している。
確かに序盤はそう。だが実は中盤以降、この話は普通に「異世界転生無双物」になる。タイトルに「下剋上」とあるように途中から主人公は猛烈な勢いで木下藤吉郎のように出世街道を驀進する。しかも「現代社会の知識」を生かすのではなく、異世界独自の能力である「魔力」の分野で「俺TUEEEE」状態になるのだ。だからこの話の魅力を紹介する際に、他の作品と一線を画したという言い回しを使うのは控えておいた方がいいんじゃなかろうか。
むしろこの作品を読んで思うのは、「俺TUEEEE」状態がそのままつまらない作品と直結するわけではない、という当たり前の点だ。モンテ・クリスト伯で面白いのは後半の主人公が復讐する場面だが、そのシーンにおけるモンテ・クリスト伯爵はまさに「チート」である。国家予算並みの資産を持ち、自在に変装して縦横無尽に活躍する、文字通りの「俺TUEEEE」状態。しかし、だからといって話がつまらないわけではない。
「主人公に弱点を」、主人公が弱点を克服したら次はもっと困難な課題を。この作品はそうした物語の基本を守って丁寧に話を進めているから、「俺TUEEEE」状態になってもあまり鼻につかない。要するに悪いのは「俺TUEEEE」にあるのではなく、話がつまらない点にあるのだ。面白ければ主人公が強かろうが弱かろうが関係ない。
ただし、主人公の成長に合わせて課題の困難度を増していくと、いずれジャンプ漫画にありがちな「強さのインフレ」が起きる可能性がある。それをどう克服するかが、将来的な課題だろう。もっと言うなら「どうオチをつけるか」が問われるということ。かなり風呂敷を広げた状態になっているため、その畳み方を考えるときがいずれ来ると思う。
それとは別に、短時間で大量に書ける点は、この著者にとっては強みだと思える。量産能力はビジネスの世界では極めて重要だ。それこそ活版印刷によって書物を大量に作り出すように、著者が高い生産性を維持できれば、商業作品の世界で生きていける道もあるのではないだろうか。何しろ書籍版"
http://www.tobooks.jp/booklove/index.html"を見ると、第一部だけで新書版より大きめの本3冊、ページ数にして1100ページ以上に達する分厚い小説になっている。書き下ろした分もあるだろうが、それでも大量だ。
もう一つはその生産効率を維持すること。これは難しい。誰であってもネタ枯れに見舞われるリスクは存在する。特にこの本の序盤のように、具体的な知識がないと書けない部分というのは、いずれネタが尽きる可能性を視野に入れておくべきだろう。書き続ける一方でネタを仕入れる努力を払い続けるとか、知識が多くなくても書ける部分(例えばキャラクター描写とか)に力を入れるとか、そういった対応も必要になるかもしれない。
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