バイレン 部下の判断

 前回説明したグアロマンへ後退するというデュフールの判断を手厳しく非難しているのがTiteuxだ。彼に言わせればグアロマンには既に負傷したゴベールを護送した1個大隊がいた。またラ=カロリーナとサンタ=エレナにもゴベール師団の部隊が残されており、デュポンの命令によって後方から進んできた部隊によって増援されていた。従ってラ・マンチャへの連絡線は充分に守られていた。一方、レディンクはメンヒバルへと後退しており、16日夜の時点でデュフールを脅かすものはいなかった。
 デュフールがすべきだったのはバイレンにとどまってデュポンの命令を待ち、また同時にリナレス方面に偵察を送り出すこと。そうすればシエラモレナに向かっているという敵兵がゲリラ、志願兵によって構成されており、スペイン軍主力は常にグアダルキビル沿いにいることが分かったはずだ。軍の敗北をもたらした空想上の敵を追撃するという愚かな行軍を実行することなく、18日に行われたスペイン軍によるバイレンへの進軍に対抗することができた。以上がTiteuxの言い分だ("https://archive.org/details/legnraldupontune02tite" p437)。
 理屈の上ではその通りだが、Titeuxの指摘にはデュフールの前任者であるゴベールの悩みが充分に反映されているとは言えない。前にも指摘したが、ゴベールはラ=カロリーナ方面の連絡線を守るべきか、それともバイレンに留まるべきかで悩んでいた。何しろゴベールはそもそも最初はラ=カロリーナに配置されており、彼の基本的な役割はラ・マンチャへの連絡線確保だったのだ。ヴェデルも一時はゴベールをラ=カロリーナ方面に戻すことを考えていたくらいで、バイレン守備はゴベール師団ではなくヴェデルの役割だったと見られる。
 またデュフールがゴベールの負傷&死亡によって、急遽指揮権を引き継いだことも忘れてはならない。Titeux自身が指摘しているが、実は旅団長の中ではデュフールよりルフランクの方が先任だった。彼がゴベールとともに行動していれば、そちらが指揮権を引き継いでいただろう。だがルフランクはこの時、麾下部隊とともにアンドゥハルに派出されており、そのためデュフールが暫定的に指揮を取ることになったのだ(p426)。全体の戦況についての理解度という点で、デュフールがそもそも不利な立場にあったことは否めない。
 それでもデュフールの移動はフランス軍にとって致命的な影響を及ぼした。そしてさらに傷口を大きく広げることになったのが、バイレンへ戻ってきたヴェデルの取った決断だった。

 アンドゥハルを恐らくは夜9時頃に出発したヴェデルは、バイレンへの中間地点で一度、デュポンへ報告を送ったようだ。さらに行軍を続けた彼は翌17日の朝8時半にようやくバイレンに到着した(p432)。驚くべきことに、彼はこの地で敵も味方も発見できなかった。レディンクは前日のうちにメンヒバル方面へと後退しており、デュフールは真夜中にグアロマンへと出立したからだ。さらにスペイン軍が連絡線を脅かすように動いているという噂も彼の耳に届いたことだろう。さてどうするべきか。
 Titeuxに言わせれば、ヴェデルがこの時にすべきだったのは(1)デュフール将軍と他の場所ではなくバイレンで合流する(2)レディンクをメンヒバルへと撃退する(3)バイレンの防御を確実にする(4)可能な限り素早くアンドゥハルへ戻る――の4点となる。「これらがヴェデル将軍の受け取った極めて正確、かつ明確な命令だった」(p432)
 実際にはヴェデルが出発前に受け取った命令(p429)には(3)の部分はなく、代わりにグアロマンとラ=カロリーナの駐屯地が安全になることを求めている。また(4)の任務はあくまで「そなたの戦力の一部」が担うものとなっている。また重要な一文として「敵がバエザを占拠しているのなら、それを追い払う必要がある」とも述べている。
 つまり少なくともヴェデルがバイレンに到着した時点で、彼はメンヒバル方面と同様にフランス軍左翼側の脅威にも充分配慮すべきだと命じられていた。グアロマンとラ=カロリーナの安全確保が求められていたし、またバエザの敵排除もその任務になっていた。だからこの時点でヴェデルがグアロマン方面を気にかけたのだとしたら、それは仕方ない面もある。またデュポンの命令にはバイレンでの合流が当然の前提として書かれている。デュフールがバイレンを退去したのは想定外の事態だったと言っていいだろう。
 その後、ヴェデルが途中で送った報告を17日朝に受け取ったデュポンは、新しい命令をおそらくは朝のうちに出している。さらに午前11時、彼はこの命令の写しをもう一度ヴェデルに送った。だが、この内容もTiteuxの指摘とは微妙に異なっている。まず(1)は引き続き当然の前提とされており「そなたのバイレンへの到着とデュフールとの合流を知ることを望む」と書いている。(2)についてはメンヒバルの地名が出てこず、「レディンクと遭遇しこれを撃退するのに間に合うよう到着することを期待する」とあるだけだ。
 そしてこの命令にも(3)は見当たらない。代わりに、バエザに敵がいてグアロマンとラ=カロリーナを脅かしているのなら、彼らとも戦わねばならないという指摘がある。「我々はいかなる代価を払っても、彼らが我々の作戦及び連絡線に腰を据えることに対抗しなければならない」とデュポンは強調している。そしてこの重要な目的が満たされた後に素早く合流する方針を示しているが、その場所はアンドゥハルに限らず、「そなたの前面に多すぎる戦力がいるなら、私がそなたと合流するため次いで行軍する」とも述べている(p431-432)。
 要するにTiteuxのまとめ方はデュポン擁護のために捻じ曲げられていると言っていい。確かにデュポンがメンヒバルのレディンクをグアダルキビル対岸に撃退することを最優先にしていたと読むことは可能だが、バイレンの安全を確保したらアンドゥハルへ戻れなどとは一言も言っていない。むしろ守るべき場所として必ず出てくる地名はグアロマンとラ=カロリーナだ。上官の命令を受け取った部下が、これらの地名に引きずられる可能性は充分にある。

 かといってヴェデルが無実だとも思えない。何よりデュポンは命令の中でメンヒバルやレディンクと言った名前をグアロマンやラ=カロリーナより前に示している。まずは前者の動きを把握する必要があるとの考えからそう記したのだろう。ヴェデルは少なくともメンヒバル方面に強力な偵察部隊を送り出し、前日の戦闘後のスペイン軍の動きを掴むことに努めるべきだった。実際、同じ日にデュポン自身がビリャヌエバに騎兵の偵察部隊を送り出し、9000人から1万人の敵がいることを確認している(p433)。
 だがヴェデルはバイレンに到着するや否や、デュフールを追ってグアロマンへ向かう決断をした。彼はその旨を記した報告書で「閣下の命令によれば私はバイレンへ後退した部隊[デュフール]と合流しなければならないため(中略)私は本日のうちにここを出発しグアロマンへ向かいます」(p433-434)と記している。つまり彼は出発前の命令で記されていたデュフールとの合流こそが最優先事項だと見なして行動したことになる。そのためにはバイレンもメンヒバルもレディンクも後回しにしていいとの判断だ。これは流石にいかがなものだろうか。
 ヴェデルの報告でも、また彼に同行していたバストがデュポン将軍に宛てて書いた午前10時15分の報告(p434-435)を見ても、敵がリナレスからフランス軍の連絡線がある方面へ迂回していることが当然であるかのように書かれており、それを確認する手段が採られたという記述はない。フランソワ大尉によれば「敵の位置を確認することなく[ヴェデル]将軍は兵を休ませ食事を配った」(p435)そうで、どうやら彼は偵察すら出さずに噂を信用したようだ。
 またヴェデルがデュフールに書いた同日付の手紙にも、「そなたの行軍についても敵の部隊がリナレスとサンタ=エレナにいて隘路へ向かうという主張についても確かな証拠はないため、私はこの点を司令官に推測として伝えた」(p439)との記述がある。スペイン軍の位置を正確に知らなかったことが分かる一文だ。
 彼らがすべきだったのは前日の戦闘でスペイン軍が攻めてきた方角、つまりメンヒバル方面に麾下の騎兵部隊を送り出し、グアダルキビル川まで行って何がどうなっているかを確認すること。そうすればメンヒバル渡河点に集まっていたスペイン軍を発見できただろう。バイレンからメンヒバル渡河点までは13キロメートルほど。騎兵部隊なら3時間足らずでたどり着ける場所だ。バストによればヴェデルは午後4時にグアロマンへ向けて出発するつもりだった(p434)そうなので、それまでの間に偵察を行うことは充分に可能な計算となる。
 後にヴェデル自身は「グアダルキビルまで偵察を送ったが、何も見つからなかった」("https://archive.org/details/legnraldupontune03tite" p265)と証言している。もしこれが事実なら、1万人弱の兵力を見落としたのだからその偵察部隊は碌に仕事をしなかったことになる。だが他の記録を見る限り、実際はきちんと偵察をしなかった可能性が高い。たとえ本当に偵察が行われたのだとしても、その方法が拙かったか担当者が無能だったのは事実。上司であるヴェデルの任命責任は避けられないだろう。
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