今回はヴェデルがアンドゥハルへ移動する話を取り上げる、つもりだったのだが、前回の話について一部で変わった史料を見つけたのでその話をフォローしておく。レディンク師団がメンヒバルに到着した日付についてだ。
レディンクの前衛部隊を率いるベネガスがメンヒバルにいたリジェ=ブレルの部隊を攻撃したのが1808年7月14日の午前5時であったのは、Demostracion de la lealtad española, Tomo Segundo."
https://books.google.co.jp/books?id=e58LAAAAYAAJ"に載っている14日付のベネガスからカスタニョスへの報告(p67)に「5時にこの町に到着し」たと書かれていることからも分かる。問題はこの前衛部隊に続いてやってきたレディンクの本隊が到着したタイミングだ。
上記の書物にはレディンクからカスタニョスへの報告書も掲載されているが、その日付は7月16日。つまりゴベール師団と戦闘した日である。この日までにレディンクの本隊がメンヒバルに到着していたのは、この報告書からも間違いない。問題はその前日と前々日だ。
「ベネガス准将が指揮するレディンク将軍の前衛部隊は、14日朝にメンヒバルで敵を発見したが、敵は敢えて抵抗しようとはしなかった。優れた兵9000人で構成されていたレディンク師団全体がその地に到着したのは15日で、16日にはフランス軍は河畔の要塞化された陣地と、それから相次いで占めた地点から排除された」
p125
もちろん新聞は一次史料ではないが、それを言うならArtecheやTiteuxの本だって二次史料だ。それに戦場に近いセビリアの新聞が、戦闘からほぼ1週間後に書いた記事の中でレディンクの到着を15日としている点は、簡単には無視できないであろう。またこの新聞の記述にある、フランス軍が「相次いで[陣地を]占めた」sucesivamente ocuparonという表現は、16日付のレディンクの報告にある「相次ぐ新しい陣地」sucesivamente las nuevas posicionesと似通っている。つまり信頼度が高そうな記事なのだ。
もしこの新聞などが記しているようにレディンクの到着が15日であったならどうなるか。前回のエントリーでは15日にレディンクが積極的な攻撃をしなかったことについて、スペイン軍側でも連携の悪さがあったのではないかと指摘した。しかし彼のメンヒバル到着が15日であったなら、連携云々の問題ではなくなる。到着したばかりの彼らはフランス軍の渡河攻撃に対処するだけで精一杯だった可能性があるのだ。
さらに、もし到着が15日夕方であったのなら、もっと状況が変わってしまう。朝方、ヴェデルが攻撃した時点でグアダルキビル南岸に到着していたのはベネガスの前衛部隊だけとなり、ヴェデルはこの前衛部隊のみを見てスペイン軍のこの方面での本格攻撃はないと判断したことになる。一方、レディンクは15日夕方に到着し、16日午前3時には早々に渡河攻撃をしている訳で、積極さに欠けているなどという批判は当たらなくなる。
もちろん、そうではなく14日夜のうちに到着した可能性だってある。少なくともフランス軍史料からスペイン側の動きを推測するなら、彼らの到着が15日の、特に夜まで遅れたという事態は想定しにくい。
この動きはフランス側史料からも裏付けられる。ビリャヌエバからグアダルキビル上流へ向かうスペイン軍の動きが目撃されていたことを、デュポンが書き残しているのだ。まず14日のヴェデルへの手紙(時間は書かれていないが、午前8時のヴェデルからの手紙に対する返答なのでおそらく昼過ぎ)で、彼は「ビリャヌエバの縦隊を監視するために送り出した部隊が敵と交戦した」("
https://archive.org/details/legnraldupontune02tite" p405)と指摘。さらに同日午後5時の手紙では「この敵部隊は夕方にビリャヌエバを出発するはずだが、どの方面へ向かうかは分からないと地元住民が報告している」(p406)と記している。
そして午後9時。再びヴェデル宛に書かれたデュポンの手紙には「敵が5時頃にビリャヌエバを出発し、その右翼側へ向けてグアダルキビルを遡ったことを知った。彼らはおそらくメンヒバルにいる部隊と合流するのであろう」(p408)と書いている。この時点でメンヒバルへ移動していることから、これがクーピニーの部隊ではなく、おそらくレディンクの本隊であったことが窺える。
ビリャヌエバとメンヒバルの距離は11キロメートル。グアダルキビル川沿いのより迂回するルートをとっても15キロメートルといったところだ。車両を含めて時速3キロメートルでの移動でも4~5時間あれば到着する。夕方5時出発なら日付が変わる前に到着できただろう。途中どこかで足を止めない限り、翌朝6時半からのフランス軍攻撃時にはメンヒバルにいた可能性が高い。
この手の話は調べれば調べるほど新たな疑問が出てくることが多い。今回の話もしかり。レディンクは14日のうちにメンヒバルに到着しておきながらその日は消極的に時間を潰したのか、それとも何らかの理由で到着は15日にずれ込んだのか。謎である。
次回こそヴェデルがアンドゥハルへ向かう、はずだ。
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