バイレン 増援命令

 7月15日、いよいよ両軍が本格的に接触する。

 デュポンが布陣するアンドゥハル南方、グアダルキビル川左岸には、川と平行に山地が走っており、これがスペイン軍の動きをフランス軍から隠す役割を果たした。この方面にやって来たのはカスタニョス自身が率いるジェームズの第3師団及びラペーニャの予備師団。彼らは午前4時には左岸の山地に姿を現し、やがて左岸側にあるフランス軍橋頭堡への砲撃を始めた。フランス側も橋頭堡にある8門の大砲で応戦する。
 フランス側はこの橋頭堡にパリ衛兵隊第1大隊を配置。残りのパヌティエ旅団は右岸のアンドゥハル左側に、シャベール旅団は右側に、アンドゥハル自体には親衛水兵隊が布陣した。信頼度の低いスイス人部隊はアンドゥハルの背後に予備として置かれ、騎兵も同じく予備になった。第6臨時連隊は、グアダルキビル川下流のマルモレホで右岸へ渡ってきたスペイン軍のクルーズ=モリヨンの部隊に対抗するべく配置されていた("https://archive.org/details/legnraldupontune02tite" p412)。
 デュポンはスペイン側の動きを見て、翌日にはより本格的な攻撃が行われる可能性があると踏んだ。彼はヴェデルに対してアンドゥハルへ増援を送るよう伝達するため、参謀長ルジャンドルの副官であるデフォンテーヌ大尉を送り出した。大尉がアンドゥハルを出発した時間は不明だが、おそらく15日の午前中であったと思われる。だがスペイン側の目的はあくまで陽動だった。彼らは砲撃のみにとどめて本格的な攻撃は行わず、しかも昼頃には砲撃すらやめてしまった。

 一方、バイレンにいたヴェデルは、午前4時半の時点で早々にメンヒバルへと師団を出発させていた。彼がデュポンに宛てて書いた報告によると、この時点ではまだ「[リジェ=]ブレル将軍から何のニュースも受けていない」(p413)状態だったらしいので、この行動は敵の動きに反応したものではない。あくまで彼の判断としてメンヒバルへの攻撃が近いと考えたうえでの決断であろう。もしレディンクがこの日メンヒバルに到着していなければ、彼の部隊は無駄な行軍に労力を費やすことになったわけだ。戦争の最中にはこうした無駄な行動が出てくるのも珍しくないが、ヴェデルの性格を窺わせる一例と言えるかもしれない。
 いずれにせよ彼の行動はこの日は無駄にならなかった。午後になって書かれた報告書によると、ヴェデル師団は午前6時にはメンヒバル渡河点を見下ろす高地に到着。そこからは左岸の高地を占拠する敵歩兵が見えた。6時半にはフランス軍前哨線に対するスペイン側の散兵戦が始まり、リジェ=ブレル将軍は左岸の持ち場を支援するために2個中隊を送り込んだうえ、彼らを支援するため砲撃も行った。この射撃戦は2時間ほど続いたという。
 この時点でヴェデルは「敵は砲兵の姿を見せなかった(中略)。私の見た限り、彼ら[の戦力]は3500人ほどと推測される。彼らは具体的な攻撃計画を持っていなかったのだろう。なぜなら本格的に行動したい場合には常に何門かの大砲を伴うものだからだ」(p416)と報告書に書いている。この推測は、その後の彼の判断に重要な影響を及ぼす。
 報告書ではさらに、射撃戦終了から1時間以上が経過し、敵が散兵を全て引き揚げ、あたりは完全に静かになったとも書かれている。午前6時半過ぎから始まったメンヒバルの戦闘は、午前の早いうちに終わってしまったことになる。ヴェデルはさらなる攻撃に備えてリジェ=ブレル配下に6個中隊を残す一方、師団主力は夕方にバイレンへ引き揚げる決断をした。ラ=カロリーナからバイレンへと前進してきたゴベールに対しては、グアロマンあるいはラ=カロリーナへ引き返すよう連絡をするつもりだとしている。

 結局15日の戦闘はアンドゥハル、メンヒバルのいずれも小規模にとどまり、スペイン軍はグアダルキビル川を渡ることができなかった。だがその背後で大きな動きがフランス側に起ころうとしていた。それをもたらしたのは、デュポンが送り出した1人の大尉だった。

 デフォンテーヌ大尉が伝えることになっていた命令は「ヴェデル将軍に対し歩兵1個大隊と胸甲騎兵1個大隊、あるいはもし敵がメンヒバル方面に大挙して存在していないのなら1個旅団を要請する」(p414)というものだった。彼はおそらく昼過ぎにバイレンへ到着したのだが、そこにはヴェデルは存在せず、代わりにラ=カロリーナから駆けつけたゴベール師団が布陣していた。
 デュポンからの要請を知らされたゴベールは、司令官に対して返答を記している。午後1時半に書かれたこの報告で、彼は胸甲騎兵1個大隊は送るが歩兵については「私の手元に900人しかいないため」送ることができないと指摘。デフォンテーヌ大尉をメンヒバル渡河点にいるヴェデルの下に送るので、ヴェデル師団から増援を送ってもらいたいと述べている(p414)。同時に彼はリナレスにいた胸甲騎兵1個大隊を呼び寄せ、代わりに歩兵300人を送り出している。
 ちなみにリナレス方面からの間道を使った敵の迂回はゴベールが常に心配していたものであり、この日の午後3時に書かれた報告の中でも迂回に備えてラ=カロリーヌに戻るべきか、それともバイレンにとどまるべきかで悩んでいる(p414)。それに対しデュポンは「ラ=カロリーナの陣地は最大の重要性を持っている。(中略)同時にバイレンを占拠し、ラ=カロリーナとアンドゥハルにある我らの陣地をつなぐことも必要だ」(p415)と指摘し、最終的にどうするかは「そなたに全面的に任せる」とぶん投げた。だがゴベールはこの件についてその後、長く悩む必要はなくなる。

 ゴベールに話を伝えた後で、デフォンテーヌはヴェデルの下に到着した。歩兵1個大隊、もしくは1個旅団の増援を求めたこの大尉の伝令に対し、ヴェデルは驚くべき決断を下す。1個大隊や1個旅団ではなく、一部の部隊を除き師団のほとんど全てを増援としてアンドゥハルへ向かわせることにしたのだ。ヴェデルはデュポンへの報告書の最後に以下のように書いている。

「副官デフォンテーヌ氏がその時、到着しました。彼は閣下の指示を私に伝えました。私はこの地点で攻撃が行われることはないと確固として信じているので、[リジェ=]ブレル将軍に追加の4個中隊のみを残し、彼をゴベール将軍の指揮下に入れ、私の師団の残りとともにあなたのところへ行軍するのがよりよい行為に成り得ると信じます。私が大いなる喜びとともに実行するこの移動を閣下が認めないことはないと確信しています」
p416

 彼の判断の背景に、上に指摘したスペイン軍の消極性があるのは確かだろう。その戦力を3500人と、実際の数(約1万人)より大幅に過小評価してしまったことも、ヴェデルがメンヒバル渡河点を安全であると判断した理由だ。その意味ではこの日の戦闘がヴェデルの決断に大きな影響を及ぼしているのは間違いないだろう。
 デュポンへの報告書において、彼はデフォンテーヌが到着する前に「敵がこの地点で本格的渡河を考えているとは思えないが、その場合でもバイレンやここで対応できる」(p416)との見方を示している。さらに「食糧が必要であり、バイレンは私にとって唯一の供給源だ。そこに到着したゴベール師団は私の食糧を消費している」とも書いている。少ない食料のためバイレン周辺に大軍を集めるのは難しいと考えていたことも、ゴベールが来た時点で自分たちがどこかへ動く必要があると思わせる要因になったのかもしれない。
 だがそうだとしても、ヴェデルが命令に書かれた最大の数字「1個旅団」を大きく上回る1個師団でアンドゥハルに向かおうとしたのは、明らかに間違いだろう。その意味では、確かにこの行動はTiteuxの言うように「戦争において並外れて容易ならぬ重みを持つ、不服従という失敗」(p417)であった。この不服従問題は次いでさらなる問題を引き起こす。
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