都市

 「都市は人類最高の発明である」"http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002219"読了。以前から読んでみたいと思っていたが、引越しが一段落してようやく時間ができたので手に入れた。内容的に言えばとにかく「都市万歳」という論調に貫かれた本である。
 経済学者が書いているものらしく、効率性という切り口を重視している。カリフォルニアのように住宅地としては気候に恵まれた場所で開発に規制をかけるのは、逆に高温多湿なヒューストンなどの住宅を増やす(それによって冷房や自動車の利用という形でエネルギーのロスをもたらし温暖化ガスを発生させる)点で効率が悪い。カリフォルニアには水がないからという意見があるが、それならカリフォルニアでの農業のために使っている水を止め、他の高温湿潤な土地を農地として使えばいい。著者の主張の1つはそういうものだ。効率性で言えばその通りだろう。
 高層ビル化に対する支持も同様。確かに土地を効率よく使ううえでは高層ビル化するのは最も単純な解決方法だ。そうすることで安く住宅が提供できることもまた事実。高層ビルによって都心部居住が可能になれば通勤にかける時間と手段が削減でき、これまたエネルギーのロスや温暖化ガスの削減に効果をもたらす。アスファルトで覆った都市に一段と人口を集中させることこそがエコなのだそうだ。ブレードランナーの世界から酸性雨を除いた社会、といった感じだろうか。
 衰退都市に関する考察を読んでいて「企業の寿命30年説」を思い出したあたりも、経済学者っぽい文章ではある。企業であれ都市であれ、単独のビジネスだけて長期にわたる繁栄を維持するのは無理。次々と新事業を生み出してくことこそが長く続く秘訣であることは、おそらく企業の場合は間違いない。そして都市も同じ。自動車に特化したデトロイトは没落したが、衣料から金融へとシフトしたニューヨークは華々しく再生した。過去の栄光にすがっている時点で魅力はもう失われているというのが、厳しい現実なんだろう。

 いくつかの地方都市で暮らした転勤族としては、この都市の衰退に関する話や都市間競争の話が興味深かった。日本はアメリカと異なり人口が東京都市圏に圧倒的に集中している。その比率は実に全人口の3割弱を占めるほどだ。5割がソウル都市圏に集まっている韓国よりはマシだが、フランスや英国(いずれも2割前後がパリ都市圏とロンドン都市圏在住)よりも集中度は高い。他にこれだけ集中しているのはアルゼンチン(ブエノスアイレス都市圏に約3割)、ペルー(リマ都市圏に3割強)、エジプト(カイロ都市圏に2割)、トルコ(イスタンブール都市圏に2割)など。世界的にも珍しい部類だろう。
 これだけ集まってしまうと、他の都市が東京相手に競争するのは不可能に思える。たとえある程度の競争が可能だとしても、せいぜい3大都市圏と福岡くらいまでだろう"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%9C%8F_(%E7%B7%8F%E5%8B%99%E7%9C%81)#.E4.B8.80.E8.A6.A7"。県庁所在地の中には人口が増えているところも多いが、それは県内他地域の人口を吸い上げているだけで、他地域との競争で人口を増やしているわけではない。
 結局、この本の第9章で触れられている「都市の成功法」は地方都市に対する処方箋には成りえない。少なくとも、地方自治体の首長が毎週のように参勤交代よろしく東京詣でを強いられている現在の政治体制、社会体制の下では。むしろそうした「都市」を生き残らせるのは、効率性の観点から言うとマイナス要素の多い「郊外」「スプロール」への投資と同じ意味しか持たないだろう。逆に衰退都市について解説した第2章が最も参考になると見ていい。
 そこで紹介されているのが「縮小して偉大になる」という選択肢だ。1970年の人口から半減してしまったオハイオ州ヤングスタウンでは、市長が遺棄住宅を取り壊す資金を確保し、かつては高密近隣だった地域に空き地や公園を確保したという。少なくともそれによって維持管理費は下がり、都市の魅力は上手くすれば高まるという。
 地方創生という掛け声が唱えられているが、これが結果として「貧乏な人」ではなく「貧乏な場所」を助ける政策になってしまえば、税金の無駄遣いに終わるだろう。助けるべきは地方でも自治体でもなく、人口が減って各種のサービス低下に苦しむことになる住民たちであり、彼らの撤退戦を手助けするのが行政や政府の役割だと思う。地域おこしのような取り組みは市町村や県や国がやるべきではないし、余計な規制をなくすといった消極的支援はともかく、補助金のような積極的支援はやはり金の無駄だと思う。地元を元気にしたければ、それは地元住民や地元企業が自力で取り組むべきだ。住民や企業にその気がないところにいくら公金をつぎ込んでも意味はない。
 ハリケーンカトリーナの被害に関連し、ニューオリンズに資金を投入するという対策にも著者は批判的だ。1960年以降、人口を減らしてきた都市に金をつぎ込んでも仕方ない。そうではなく、市民に対し「どこで暮らすことを選ぼうとも競争に必要な技能を与えることを重視すべき」という。米国だけではなく日本でも同じだろう。どこで暮らそうとも生きていける能力さえあれば、特定の地域や自治体を支援する必要はない。結局のところ人材育成こそが常に大切だ、という理屈なのだろう。

 米国も日本同様、「都市に課税してアメリカ地方部の建設に役立てる」政策を採用している。その意味では著者の指摘は日本においても採用できる部分があるだろう。一方で一部都市への人口の集中度、移民も含めた人口全体の増減といった部分では違いが大きい。そうした点を踏まえて読めば、地方都市の住民にとってもそれなりに役に立つだろう。ただしあまり元気の出る話にはならないが。
 むしろ一番この本をきちんと読む必要があるのは、東京に住む人間たちだ。著者は東京をあくまでうまく行った中央集権国家の首都と位置づけている。だから「世界的な才能のメッカとしてニューヨークやロンドンのライバルになることは決してない」と判断している。もちろん、東京の住人がそれでいいと考えるなら、今のまま変える必要はない。ただし、人口の減る中央集権国家の首都であることがどういう意味を持つのか、それが今後の東京にどのような影響を及ぼすのか、本来なら政策当局者も都市の関係者もきちんと考えるべきだが、今のところ真面目に考えている様子はない。将来の東京が、衰退に苦しむ現在の国内地方都市をなぞることになっても不思議はないんだが。
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