ヴァンデの共和国軍人 その13

13)ギュイ、騎士クータール=ド=サン=ロー
 1748年、フランスの植民地だったサン=ドマング(現ハイチ)のクロワ=ド=ブーケに生まれる。いつフランスに渡ったのかは不明だが、62年には志願兵として軍務に就き、73年には大尉になった。革命後には騎兵大隊の指揮官となり、1791年には中佐、92年には大佐に昇進。同年9月にはライン方面軍のmarechal de camp(少将)になった。
 1793年5月5日、将軍としてラ=ロシェル沿岸軍に配属される。彼のヴァンデでの活躍で知られているのは、6月10日のソーミュール戦での出来事だ。王党派軍に対して逆襲を試みた共和国軍が王党派側の大砲によって動きを止められた時、クータールは100騎の胸甲騎兵に突撃を命じた。「どこへ突撃すればいいのでしょうか」と質問したヴァイセン大佐に対するクータールの答えは「死へ(A la mort)」だった(Deniauなどによる)。
 胸甲騎兵は「共和国の安全のために」突撃し、大損害を出した。共和国軍は結局敗北し、ソーミュールは王党派軍の手に落ちる。その後、クータールは7月1日にアルプス方面軍への転属を命じられ、ヴァンデの戦場から去った。
 リヨン攻囲などに参加したものの、10月には貴族ということを理由に職務を停止される。テルミドール反動後に一度は軍務に復帰するものの、やがて引退。1804年には対英戦争に一擲弾兵として従軍することを志願するが、認められたかどうかは不明だ。以後、前線勤務に就くことはなく、1825年パリで死去。

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