エルバ島コピペの淵源

 熟成効果とでも言うのか。これまでも調べたことについてしばらく時間を置き、それから調べなおすことで新しい事実が判明した例があった。今回、改めて調べなおしたのはこれ"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/moniteur.html"。エルバ島コピペの話だ。
 前回調べた際に見つけた最も古い史料は1827年出版の本"http://books.google.co.jp/books?id=iqAIPaFNucgC"だった。ただしそれが最古でないことははっきりしており、オリジナルが何であるかが不明のままだった。今回見つけたのはそのオリジナル、と思われる書物。1821年出版のAnecdotes du dix-neuvième siècle, Tome Premier."https://books.google.co.jp/books?id=oDItbU0wffkC"がそれだ。
 題名の通り、逸話がずらずらと並んでいる本だが、その中に以下の文章がある。

「――検閲済みの新聞。――1815年3月。――第1のニュース。人食いがそのねぐらを出た。――第2のニュース。コルシカの鬼がまさにジュアン岬に上陸した。――第3のニュース。虎がギャップに到着。――第4のニュース。怪物がグルノーブルで一泊した。――第5のニュース。暴君がリヨンを通過。――第6のニュース。簒奪者は首都から60リュー以内にいる。――第7のニュース。ボナパルトは大きく前進している。だがパリに入ることは決してないだろう。――第8のニュース。ナポレオンは明日には我らの城壁下に現れるだろう。――第9のニュース。皇帝はフォンテーヌブローにいる。――第10のニュース。皇帝にして国王陛下は昨晩、人々の中をテュイルリー宮に入城した(当時のモニトゥール紙及び他の新聞参照)」
p175

 この時期より以前の本は現時点では見つけていない。出版が百日天下の6年後と早い時期であることを含め、おそらくこの本がこの「エルバ島帰還ネタ」のオリジナルだろう。その後に出てくる文章と比べると、まず冒頭から「検閲済み」の文字があるのが特徴だ。1827年出版の本にも検閲の話が言及されているところを見ても、最初のうちは「検閲済み」の新聞であることが重要だったのだろう。1831年に出版された本"https://books.google.co.jp/books?id=gLkRAAAAYAAJ"でも検閲の文字は残っている(p70)。
 変化が生じたのは1840年に出た本"https://books.google.co.jp/books?id=S9VIAAAAcAAJ"だ。同書のp165に紹介されているこの逸話には検閲に関する言及がなくなっており、「これがジャーナリズムの打ち立てた記念碑だ」C'est l'exegi monumentum du journalismeという、新聞そのものへの批判に力点を置いた表現になっている。この文章は前にも書いた通り大デュマが執筆したものであり、彼の手によって本来は検閲批判に力点があったオリジナルから文意がずらされてしまったことが分かる。
 次に特徴的なのは、オリジナルの時点で「モニトゥール」という固有名詞が出ていること。こちらはデュマの責任ではなかった訳だ。第3の特徴は、1827年本で日付になっている部分が「第1のニュース」という書き方になっているところ。デュマ以外の人間も含め、引用するたびに伝言ゲームのように改変が加えられていた様子が窺える。著作権がいい加減だった時代には引用ルールもいい加減だった、ということなのだろうか。

 この本の著者はJacques-Albin-Simon Collin de Plancy"http://fr.wikipedia.org/wiki/Jacques_Collin_de_Plancy"。知る人ぞ知る「地獄の辞典」"http://www.amazon.co.jp/dp/4062562316"の著者であり、こちら"https://books.google.co.jp/books?id=NHosWhaeWDQC"によれば「悪魔研究者、オカルティスト、そして文筆家」(p43)である人物だ。
 書いた本のテーマを見ても、また地獄の辞典に関するこちら"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E8%BE%9E%E5%85%B8"の評価を見ても、著作物の内容について信頼できるような書き手でないことは想像がつく。以前にも指摘したが、モニトゥール紙に見当たらない記述が「エルバ島コピペ」のオリジナルに紛れ込んでいる点もまた、彼の本に対する信頼性を損なうものだろう。
 こちらの本"https://books.google.co.jp/books?id=H6xkAwAAQBAJ"ではCollin de Plancyのこの本について「興味深く、あるいは謎めいた物語を、幅広い多様なソースから選択し集めたもの」としており、明らかに読者を興奮させると同時に指導する狙いで書かれたものだとしている。事実を調べてまとめることを目的としていたわけではないようだ。
 もっとはっきり述べているのがこちら"https://books.google.co.jp/books?id=eqzQAAAAMAAJ"で、そこではこの本について「ウルトラ王党派の勢力拡大、復活した亡命貴族の法外な自負、貴族と僧侶の無知、イエズス会の狡猾さ、そして25年に及ぶ反対運動の後に首都から最も遠く離れた教育のない地方の間を除いてほぼ完全に消え去りながらも現政府がフランスのあらゆる場所で復活させようと試みている迷信といったものに対する、活発な風刺を含んでいる」(p485)と書いている。
 つまりCollin de Plancyの書いた「エルバ島コピペ」オリジナルは、おそらく検閲がもたらす新聞への影響を思いっきり茶化すところに目的があったのだろう。だがそれが本当に当時の新聞に書かれていた文章を写したものであるかどうかは分からない。少なくともgoogle booksを見る限り、Collin de Plancy以前にこうした一連の文言を記した書籍は見つからない。

 結論。今後、新たな史料が見つからない限り、「エルバ島コピペ」は百日天下の6年後にでっち上げられた可能性が高いと見ていいだろう。でっち上げた人物(地獄の辞典で悪魔に関する話をでっち上げた前歴もある)の狙いは、反動的なユルトラを風刺すること。だがユルトラは1830年の7月革命で政権から追い出された。さらに時間が経つとコピペは本来の狙いから離れ、大デュマの手によって新聞そのものを茶化すものへと変貌させられた。言わばミームが進化を遂げ、新しい環境へ適応した事例として見ることができる。
 今なおこのコピペが日本で生き延びているということは、それだけ日本では新聞やマスコミの影響力が大きいことを逆説的に意味するのだろう。日本や西欧とは異なり、マスコミよりも政府の検閲の方が影響力の大きい国であれば、Collin de Planchyオリジナルの検閲を風刺した形態の方が、ミームとしてはより広まりやすいと考えられる。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック