誰が「無敵」と呼んだのか

 こちらのwikipedia"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%80%E3%81%AE%E6%B5%B7%E6%88%A6"に「広く知られる『無敵艦隊』の名称はスペイン語Armada Invencibleの訳で、スペイン海軍のC・F・ダロ大佐が1884年に著した論文の題名が原典とされている」との一文がある。さてこれは事実なのだろうか。
 まずこの説の論拠となっているのはこちらの本"http://www.amazon.co.jp/dp/4562040483"らしい。手元にこの本がないためこの話がどのようなソースに基づいているのかは分からないが、ネット上で調べるとあちこちでコピペされている。日本語においては「ダロ原典説」がそこそこ広まっているのだ。
 だがこれは明白な間違い。Duroが書いて1884年以降に出版されたLa Armada Invencible("https://books.google.co.jp/books?id=xwtHQB2Lj_oC"や"https://books.google.co.jp/books?id=KgIGAAAAQAAJ")という本があるのは事実だが、それより前からスペイン語文献でArmada Invencibleと書いた事例は存在する。
 例えば1826年に出版されたこの本"https://books.google.co.jp/books?id=GvNBAAAAYAAJ"には、フェリペ2世のArmada Invencibleに触れた部分が2ヶ所もある(p79、182)。さらに前、1806年にマドリードで出版された本"https://books.google.co.jp/books?id=JHT_3RoYD8oC"にも1588年に編成された艦隊について「無敵Invencibleの名に値する」(p214)と書かれているし、目次のあるp431にはずばりla armada invencibleの文字もある。
 また日本語wikipediaでは「イングランド側視点での歴史書では、“the Invincible Armada”の名称が揶揄的な表現として稀に用いられている」とも書いている(ソースは上記と同じ)のだが、実際には稀にどころではなく、昔から何度も使われている。例えば1740年出版の本"https://books.google.co.jp/books?id=my8JAAAAQAAJ"には「スペイン自身がInvincible Armadaと呼んでいた」(p82)と書かれている。
 さらに遡ることも可能だ。1708年出版の歴史書"https://books.google.co.jp/books?id=UXE9AQAAMAAJ"には「1588年のInvincible Armada」(p478)という表記が出てくるし、1635年出版の本"https://books.google.co.jp/books?id=kyFEAAAAcAAJ"にもスペイン人が「invincible Armadoと名づけた」(p360)という記述がある。かのシェークスピアが1603年に書いたと思われるEnglands Mourning Garment.("https://books.google.co.jp/books?id=leEIAAAAQAAJ" p81-)の中にすら「無敵と評されるスペイン艦隊」Spanish Armatho accounted inuincible(p87)との文言がある。
 要するにスペインのアルマダを無敵invincibleと呼んだ事例はアルマダ海戦から間もない時期、日本語wikipediaに書かれている「ダロ原典説」より260年以上も前から存在しているのである。日本語wikipediaが間違っているのは確実だろう。なぜこんな間違いが生じたのかは不明だが、同じ間違いが英語やスペイン語wikipediaにないことからも、日本だけで広まっている誤りだと思われる。

 では一体どこからinvincibleという言葉が使われるようになったのか。スペイン語wikipedia"http://es.wikipedia.org/wiki/Armada_Invencible"によると、Armada Invencibleは「英語由来の名称」であり、スペインの「暗黒伝説」"http://es.wikipedia.org/wiki/Leyenda_negra_espa%C3%B1ola"を広める中で反スペインのプロパガンダとして使われたのだという。
 ソースはこちら"http://books.google.es/books?id=PTu4YH7NAJkC"やこちら"https://books.google.co.jp/books?id=nPtoAAAAMAAJ"、あるいはこちら"http://www.tudorplace.com.ar/Documents/defeat_of_the_armada.htm"などを示しているが、残念ながら読めなかったり論拠が良く分からなかったりする。それでもさらに探すと、見つかるのがColin MartinとGeoffrey Parkerが書いた本"https://books.google.co.jp/books?id=_ysl3KVnYDUC"だ。
 彼らによれば最初にinvincibleと言い出したのは、スペイン側ではなく英国の大蔵卿であったバーリー男爵"http://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_1st_Baron_Burghley"だ。駐フランスのスペイン大使に宛てた手紙という形式で1588年(つまりアルマダ海戦が行われた年)に出版された本"https://books.google.co.jp/books?id=lbWGnQEACAAJ"の中で、彼は「かつて無敵と呼ばれていたスペイン艦隊の災難」という表現を使ったそうだ(Martin, p243)。無敵艦隊の名はここで生まれたという。
 この指摘が事実ならスペイン語wikipediaに書かれた話が事実となろう。実際にはこの説はMartinらより前にBertrand T. Whiteheadが本"https://books.google.co.jp/books?id=pFJnAAAAMAAJ"にまとめている。中身は詳細には確認できないのだが、1588年8月にバーリーが書いた最初の草稿の時点で、スペイン艦隊を無敵と呼んでいる部分があるのだそうだ。
 残念ながらMartinらが引用した元の(おそらく出版された方の)文章はネットで見つけられなかったが、草稿と思われるもの"http://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A05269.0001.001?view=toc"は発見できた。その中には確かに以下の文章がある。

"But after that it was certainely vnderstood, that the great Nauy of Spaine was ready to come out from Lisbone, and that the fame therof was blowne abroad in Christendome to be inuincible, and so published by bookes in print, the Quéene and all her Counsel I am sure (whatsoeuer good countenance they made) were not a little perplexed, as looking certainely for a daungerous fight vpon the Seas, and after that for a landing and Inuasion."
p15-16

 明確に「スペインの大艦隊(great Nauy of Spaine)がリスボンからやって来る準備を整えており、その名声はキリスト教国に広く無敵(inuincible)であると伝わっていた」と書かれている。もちろんこの文章は英国側の勝利が決まった後に書かれたものであり、敗北した側を敢えて「無敵」呼ばわりしたのは間違いなくプロパガンダのためだろう。バーリーは英国側を持ち上げ、スペインを貶めるために、こういう書き方をしたのだと思われる。後にInvincible Armadaという言葉が広まり、ついにはスペインにおいてすら採用されるに到ったことまで踏まえるなら、バーリーのプロパガンダは見事に成功したと言える。
 日本語wikipediaは、スペイン側が当時invencibleという言葉を使っていなかった点については正しい指摘をしていた。だがそれ以外は間違っている。ダロ大佐は原典ではなく、昔から言い習わされてきた言葉をそのまま使っただけに過ぎない。本当の原典はおそらくスペインの敵、バーリー卿が書いたものに由来する。
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