要するにスペインのアルマダを無敵invincibleと呼んだ事例はアルマダ海戦から間もない時期、日本語wikipediaに書かれている「ダロ原典説」より260年以上も前から存在しているのである。日本語wikipediaが間違っているのは確実だろう。なぜこんな間違いが生じたのかは不明だが、同じ間違いが英語やスペイン語wikipediaにないことからも、日本だけで広まっている誤りだと思われる。
"But after that it was certainely vnderstood, that the great Nauy of Spaine was ready to come out from Lisbone, and that the fame therof was blowne abroad in Christendome to be inuincible, and so published by bookes in print, the Quéene and all her Counsel I am sure (whatsoeuer good countenance they made) were not a little perplexed, as looking certainely for a daungerous fight vpon the Seas, and after that for a landing and Inuasion."
p15-16
明確に「スペインの大艦隊(great Nauy of Spaine)がリスボンからやって来る準備を整えており、その名声はキリスト教国に広く無敵(inuincible)であると伝わっていた」と書かれている。もちろんこの文章は英国側の勝利が決まった後に書かれたものであり、敗北した側を敢えて「無敵」呼ばわりしたのは間違いなくプロパガンダのためだろう。バーリーは英国側を持ち上げ、スペインを貶めるために、こういう書き方をしたのだと思われる。後にInvincible Armadaという言葉が広まり、ついにはスペインにおいてすら採用されるに到ったことまで踏まえるなら、バーリーのプロパガンダは見事に成功したと言える。
日本語wikipediaは、スペイン側が当時invencibleという言葉を使っていなかった点については正しい指摘をしていた。だがそれ以外は間違っている。ダロ大佐は原典ではなく、昔から言い習わされてきた言葉をそのまま使っただけに過ぎない。本当の原典はおそらくスペインの敵、バーリー卿が書いたものに由来する。
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