ヴィシェフラットの戦い ネタバレ

 フス戦争漫画"http://seiga.nicovideo.jp/comic/6131"はもちろんフィクションであり、史実とは異なる。だからヴィシェフラット城攻撃も史実のような封鎖→援軍接近→援軍撃退→降伏という順番で進まなくても問題はないし、進まない可能性もあると思っていた。だが作者は結局、封鎖から援軍接近という流れに持ち込んでいる。ただし単純な封鎖ではなく、「二重包囲」を経てどうやら「かつ江さん」"http://dic.pixiv.net/a/%E3%81%8B%E3%81%A4%E6%B1%9F%E3%81%95%E3%82%93"的な方向へ進む模様。相変わらず「中世どっきり残酷フェア」の名に恥じない展開だ。
 ちなみにイアン・モリスの「社会発展指数」"http://ianmorris.org/docs/social-development.pdf"によると1400年の西洋における1人当たりエネルギー獲得量は1日2万6000キロカロリー。ローマ帝国時代より低いし同時代の東洋(2万9000キロカロリー)すら下回る。現代西洋(23万キロカロリー)の9分の1強しかないわけで、おそらく包囲されていなくても飢えていた人間は大勢いたことだろう。逆に飢えに対する耐性は現代人より高かったかもしれない。

 ヴィシェフラット攻囲にジシュカが参加していないことは前にも指摘した"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55012267.html"。また漫画ではジシュカが両目の視力を失いつつあるように描いているが、実際にもう一方の視力をなくしたのは翌1421年、ラビ城攻撃時に矢を受けたのが理由だ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Jan_%C5%BDi%C5%BEka#Rok_1421"。なおジシュカが最初に左目の、その後に右目の視力を失ったことは、後に発見されたジシュカのものと見られる頭蓋骨の分析によって明らかになった"http://www.castles.cz/osobnosti/jan-zizka-z-trocnova.html"
 で、漫画ではさらにジシュカ以外の史実で不参加の面々がこの戦いに参加してきた。即ちシュヴァンベルクのイヤミ"http://de.wikipedia.org/wiki/Bohuslav_von_Schwanberg"とロジュンベルクのガルマ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Old%C5%99ich_II._z_Ro%C5%BEmberka"だ。前者は基本的にプルゼニ及びシュヴァンベルク城で、後者はボヘミア南部で戦いを続けていたはずであり、ヴィシェフラット城とは関係なかった。
 ちなみにwikipediaによるとイヤミの家の紋章はこんな感じ"http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Wp_Schwanberg_5213b.jpg"であり、ガルマの方はこれ"http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/12/Rosenberg-Wappen.png"だ。いずれも兜と楯が描かれている。フス戦争当時の紋章までは分からないが、漫画に描かれている紋章はwikipediaのものに比べると簡略だ。
 ヤン・ロハーチ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Jan_Roh%C3%A1%C4%8D_z_Dub%C3%A9"に関してはチェコ語wikipediaを見る限り、1420年12月にはプラハにいたそうだ。ただしヴィシェフラット城を攻撃していた9~10月にどこにいたかは不明。同年、ジシュカの関連で南ボヘミアに関する記述の中にロハーチも出てくるので、この時期はむしろジシュカと一緒に南ボヘミアにいたと考えた方がいいかもしれない。
 当時10代前半だったフニャディ・ヤーノシュ"http://hu.wikipedia.org/wiki/Hunyadi_J%C3%A1nos"、前半生がほとんど不明のヤン・イスクラ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Jan_Jiskra_z_Brand%C3%BDsa"に至っては、この戦いに関与したかどうか全く分からない。少なくともヴィシェフラット攻囲に参加したことを示す明白な証拠はなさそう。つまりこの漫画に出てくる面々はいずれもフィクションならではの登場人物と見てよさそうだ。

 一方、現場にいたはずなのに漫画では出てこない可哀想な人たちもいる。代表はジギスムント"http://en.wikipedia.org/wiki/Sigismund,_Holy_Roman_Emperor"。まあ後から参加する可能性はあるので決め付けるのは早いんだが、史実のヴィシェフラット戦では彼はかなり重要な役割を果たした。いい意味ではなく、悪い意味で。
 LützowのThe Hussite Wars"https://archive.org/details/hussitewars00lt"にはブレゾヴァのヴァヴリネツが描いたヴィシェフラットの戦いが長々と引用されている(p65-69)。それによると、補給を絶たれたヴィシェフラットとフス派の間では10月28日、講和の話し合いが持たれた。そこで11月1日の午前9時までにジギスムントから充分な補給が送られなければ、守備隊はフス派に名誉ある降伏をすることで合意がなされた(p65)。
 その期限となる11月1日の前日朝、ジギスムントがヴィシェフラット南東のノヴィ=フラット"http://cs.wikipedia.org/wiki/Nov%C3%BD_hrad_u_Kunratic"に到着した。彼はまずプラハ城の守備隊に対して翌朝、ヴルタヴァ左岸で攻撃に出るよう伝令を送る。だがこの伝令はフス派の手に落ち、この方面での陽動の取り組みは失敗に終わった(p66)。
 さらにジギスムントはモラヴィア貴族やハンガリー兵を含む1万5000人から2万人を率いて聖パンクラーツ教会へ向かう道が伸びている丘の上に立ち、「剣を抜いてそれを空中で動かし、そうすることでヴィシェフラットの兵たちに城から出撃して敵を攻撃するよう合図を送った」(p66)。だがその合図は事前に合意していた時間と異なっていたため、ヴィシェフラットの守備隊は門を閉ざして出撃しようとしなかったそうだ。このあたりはどこまで本当の話なのか不明だが、少なくともヴァヴリネツはそう書いている"http://cs.wikipedia.org/wiki/Bitva_pod_Vy%C5%A1ehradem#P.C5.99edehra"。
 ヴィシェフラットの守備隊が出撃せず、フス派がしっかり陣地を築いているのを見たモラヴィア貴族たちは、深刻な損害を受けたくなければ攻撃をしない方がいいとジギスムントに忠告した。だがジギスムントは「おまえらモラヴィア人どもは臆病者で、不忠者だ」と発言。諫言をしたプルムロヴァのインドリヒ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Jind%C5%99ich_z_Krava%C5%99_a_Plumlova"らモラヴィア貴族たちはそれに対し、「御覧じろ、我らは汝が送るところへ行く備えがあり、そして王よ、その場へ汝が向かわずとも、我らはそこへ行くであろう」(p67)と切り返した。
 かくして彼らモラヴィア軍はジギスムントの命に従い、沼や池のある低地を進んだ。一方、高地ではハンガリー軍がやはりフス派の陣地へと前進。これを見たフス派は浮き足立って逃げ出し、聖パンクラーツ教会周辺に群れ惑った。フス派を窮地から救ったのはオレーブ派を率いるリヒテンブルクのヒネク=クルシナ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Hynek_Kru%C5%A1ina_IV._z_Lichtenburka"。彼は「兄弟たちよ、引き返して今日こそはキリストの戦いにおける勇敢な兵となれ。これは我らの戦いではなく、神のために行っているものだ。主なる神は我らの敵全てから離れ、我らの手の内に来たるであろう」と叫び、フス派の兵たちは逆襲に転じた。
 沼地や池を逃げたジギスムントの兵たちは虐殺された。農民は棍棒を使い、降伏を許さず敵を殺したという。一方、フス派の貴族たちは農民による虐殺から多くの捕虜を救い出した。ジギスムント相手に啖呵を切ったプルムロヴァのインドリヒは重傷を負った後で聖パンクラーツ教会へ運ばれ、告解をして二重聖餐を受けることを頼みながら死んだ(p68)。他にもホルシュテナのヴォク"http://cs.wikipedia.org/wiki/Vok_IV._z_Hol%C5%A1tejna"、ヴェセリのヤロスラフ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Jaroslav_ze_%C5%A0ternberka_a_Vesel%C3%AD"、レフルのインドリヒ"http://biblio.hiu.cas.cz/authorities/309908"といった面々が戦死したという。
 ジギスムントに従った貴族たちの多くが、ターボル派僧侶の命令によって身ぐるみ剥がれたままぶどう園や戦場に放置され、オオカミや野犬のえさになった。ヴァヴリネツはこの過激派たちの行為に対して「異教徒でもない者たちが、なぜこんなことをなし得るのか」(p68)と手厳しい言葉を浴びせている。この戦いの損害はジギスムント側500人に対し、フス派側は僅か30人であったという。

 以上がヴィシェフラットの戦いの概要だ。敗因は無理な攻撃を命じたジギスムントにあり、フス派側の勝利に貢献した主な人物はヒネク=クルシナであった、というのがヴァヴリネツの見方だろう。もっとも漫画ではヒネク以外、今のところこの戦場にはいない。フィクションの中でこの戦闘をどのように描くつもりなのか、興味深く読ませてもらおう。
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