政治単位の興亡メカニズム

 ピケティの議論は資本主義の時代だけでなく、それより以前にまで及んでいる。こちらのグラフ"http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F10.9.pdf"を見ても古くは紀元前後まで遡っており、資本収益率はいつの時代も4~5%で推移していたことが分かる。産業革命以後に生じたのは成長率の向上だ。r>gが長期にわたって成立していたということは、人類の歴史において格差の拡大は常に起きていたことを意味する。
 それを踏まえて国家に代表される「政治単位」の興亡を模式化できないだろうか、と考えてみた。個別国家の興亡はそれぞれ独自要因が働いたものであり単純なモデル化は難しいだろうが、長期にわたって起きている大ざっぱな変化については、ある程度その変化をもたらすアルゴリズムを想定することができそうに思える。あくまで思いつきでしかないがちょっとやってみよう。
 
 注目したいのは政治単位「間」と政治単位「内」に働く力関係とかメカニズムだ。政治単位間の関係においては、基本的に大きい方が強い関係にある。これは単に領土や人口のサイズが違うだけでなく、大きな単位の方が内部での分業が進みやすく、より効率的な政治運営ができると思われるからだ。逆に言えば名目的には大きな政治単位でも中身は小さな政治単位の寄り集まりに過ぎない場合(例:神聖ローマ帝国)、サイズから期待できるほどの力を発揮できないことになる。
 産業革命以前においては利用できるエネルギー量が限られていたこともあり、新たな資源を得たければ他の政治単位と戦争を行うという選択肢はありふれていた。もちろん戦争をすれば自分も損害を被るが、ガットの言うようにゼロサム社会でプラスを目指したければ一か八かで他の政治単位を滅ぼそうとする動きに出る事例は珍しくなかっただろう"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53357016.html"。そしてその場合、多くは大きい政治単位の方が勝利したと思われる。
 歴史時代初期の頃の政治単位は規模の小さいものが主だっただろう。日本で言えば漢書地理志に書かれた「樂浪海中有倭人分爲百餘國」("http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774604" 41/48)のように、小さい政治単位が多数あったことが窺える。イアン・モリスの言う西洋であればシュメールの都市国家がそうだし、中国でも初期の頃には邑と呼ばれた都市国家があり、その連合体が殷であったと言われている。
 政治単位「間」に働くメカニズムが、大きい政治単位にとって有利なのだとしたら、時間が経過するに従って小さい政治単位が次第に大きな単位へと統合されていくことになる。暴力的に大が小を飲み込むこともあるだろうし、複数の政治単位が連合体を形成することもあるだろう。もちろん時には小が大に勝つことだってあっただろう。でも全体としては雪玉効果が働き、大きいものがさらに大きくなる傾向があったのではなかろうか。
 その結果、地理的に隔離される傾向が強いところでは、早い段階でその地域をまとめる(統一する)比較的大きな政治単位が生まれたことだろう。西洋では陸橋部によってアジアから孤立していたエジプトがそうだったし、東洋では日本の位置づけがそれに近い。一方、広大なエリアになると統合には時間を要しただろう。メソポタミアを統一する政治単位は古くからあったが、シリアなどはずっと複数勢力の争いが続いており、アッシリアの統一によってようやく(エジプトごと)まとめられた。中国も黄河流域はともかく長江流域まで広く含めた統一は秦の始皇帝時代までかかった。
 ただし大きな政治単位の内部では、大体において統合されたはずの小さな政治単位が一定の影響力を残していた。封建制などが代表例だが、国王があくまで諸侯の筆頭程度でしかない場合と、参勤交代を強いられていた江戸時代のように封建諸侯が宮廷貴族化している場合とでは内実はかなり異なる。従って大きな政治単位による統合とは、単に帝国が成立するだけではなく、帝国内に残った小さな政治単位が次第に実権を失い、中央集権化が進むことも意味すると見ておくべきだろう。
 分かりやすい例が中国だ。中国が長期にわたって分裂した時代はいくつかあったが、紀元前の春秋戦国時代が最も長く、秦漢帝国後の混乱期、隋唐帝国後の混乱期と時代を下るにつれて分裂期間は短くなる。小さい政治単位が持っていた地域的な権力基盤が弱体化し、大きい政治単位による統合がより安定し長期化していった傾向が分かるのだ。
 また古代において邑制国家"https://kotobank.jp/word/%E9%82%91%E5%88%B6%E5%9B%BD%E5%AE%B6-144775"だったのが、秦漢帝国の頃は地方に拠点を置く豪族が力を持ち"http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/8181/s1-3-3-1.html"、それが隋唐帝国期にはより国家(大きい政治単位)制度に依拠した貴族となっていく流れなども、帝国の中に存在していた地方の小さい政治単位が力を失っていったことの反映と見られる。北宋以降は宮廷貴族すら不要になり、科挙官僚が取って代わった。それだけ大きな政治単位が権力の実権を握ったと見るべきなんだろう。
 
 時間の長短はあるにせよ大きな政治単位に統合される流れが一般的なのだとしたら、世界はどんどん少数の大きな国に統合されていてもおかしくない。だが大きな政治単位はしばしば「興」だけでなく「亡」も経験する。アッシリアも、その後のアケメネス朝ペルシャもやがては滅亡した。秦を皮切りとした中国の各統一王朝もそうだ。なぜ強いはずの大国が滅亡するのだろうか。
 運悪くより小さな政治単位に負けてしまった例もある(アケメネス朝ペルシャなど)。だが多くはむしろ自壊への道を歩んでいる。自壊をもたらす要因として、政治単位間だけでなく政治単位「内」のメカニズムも考える必要があるだろう。ピケティの描いたように、格差の拡大が必然となるメカニズムが、大きな政治単位を自壊させる一因ではないだろうか。
 最初はそこそこ平等である体制であっても、人間活動が必然的に格差をもたらす"http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140909/271039/"ためいずれは少数の層が体制がもたらす利益の大半を独占する。そうやって格差が広がれば体制を保つより壊すことに利を見出す不満分子が極端に増え、やがては体制そのものを転覆する力の方が強くなるのだろう。アセモグルとロビンソンの「国家はなぜ衰退するか」に従うのなら、収奪的体制の度合いが強まった結果としてつぶれた"http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130624/1372091174"という理屈になる。
 分かりやすい例はこれまた中国だろう。実際、ほとんどの王朝が最後は農民反乱で斃れている。中国の場合は周囲を困難な地理的隔壁(北は低温、西は乾燥、南は山脈、東は海)に囲まれているため、外敵の侵入による滅亡はそう多くない。一方で歴代王朝を見ても、特に北宋以降は皇帝とそれ以外とに分けられた究極の格差社会となっており、収奪的体制と見られてもしかたない。北宋で産業革命が起きなかったのも、既得権益層が企業家に対する不安を抱いていたためだったとの説がある"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54091628.html"。極端な格差社会が体制転覆につながったと見ることも可能だ。
 皮肉なことに大きい政治単位ほど格差が開きやすい。小さい政治単位だと利用できる資源が限られているため、たとえその中でトップになっても底辺との差は限られている。町内会長とただの住民との格差などないも同然だ。だが中国皇帝と底辺住民との差となればこれは膨大なものになる。西欧のようにあまり大きくない政治単位が並立している場合、他の政治単位と競争するために収奪的ではなく包括的な体制を保った政治単位が残りやすい、といった傾向もあるだろう。
 つまりピケティの調べた格差拡大のメカニズムが、政治単位間競争で生じる雪玉効果の歯止めになっているのだ。サイズの大きさやそれに伴う効率的分業が、より大きな政治単位をもたらす正のフィードバックをもたらしているとしたら、政治単位内で働くr>gメカニズムは負のフィードバックとなる。政治単位「間」と政治単位「内」の力関係は、政治単位の興亡にそのように作用するのではないだろうか。
 
 なお、以上の議論が成立するのはあくまで環境条件の枠内のみだ。環境条件が変わると、例えばエネルギー革命によって使えるエネルギーの量が桁違いに変わってしまうと、同じメカニズムが働き続けるとは限らない。戦争をせずとも地面を掘れば大量のエネルギーが手に入るのなら戦争の数は減る。大きな政治単位が小さい単位を無理に飲み込む必要もなくなる。現代において大きな政治単位への統合が進むのではなく、むしろ政治単位(国家)の数が増加しているのは、おそらくそれが理由だろう。
 「興」だけでなく「亡」にも環境が関わっていると見るべきだ。入手できるエネルギー量が限られていた時代には、内部における格差拡大のメカニズムだけでなく、使える資源が減ったために衰亡した政治単位もあったと思われる"http://www.amazon.co.jp/dp/4794219393/"。環境という大枠があり、その中で上記のような政治単位「間」と「内」に働くアルゴリズムがあり、さらにその中で個々の政治的判断などが個別の政治単位の興亡をもたらす要因となってきた。
 以上が簡単に整理してみたモデルだ。別に目新しいことは言っていないと思うが、でもあくまで思いつきである(たとえば例として取り上げた中国の貴族という概念は日本以外ではあまり受け入れられていないらしい)。必要に応じてまだ考えを深めていくべきだろう。
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