ペリンの本

 最近、某アルファブロガー(つまり著名人"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54982790.html")が、よりにもよってペリンの「鉄砲を捨てた日本人」を元に歴史やら何やらを語っているのを見かけた。流石に勉強不足が過ぎるだろうと思ってググってみたところ、他にも別の著名人がやはりこの本を枕に全く別の視点で日本について語っていた。いやそれどころか著名でない人まで含めれば、ネット上でこの本の内容を踏まえて(つまりそれを事実と見なして)、その上で何か語っている文章は山ほど存在する。
 翻訳者自体、この本は過去の実証的研究を目的としたものではないと断って翻訳しているはずなのだが、どうやらその部分を読んでいない読者が多いのだろう。少なくともこの本を元に歴史や何やらを語るのは恥をかくだけ、のはずなのだが、そうした共通理解が成立していないためこのような事態になる。Chaseはペリンについて「日本語を読まず日本の歴史に疎い」(Firearms"http://books.google.co.jp/books?id=esnWJkYRCJ4C" p253)と厳しく指摘しているが、日本語を読める日本人の中にも「日本の歴史に疎い」人物が大勢いることが図らずも証明されたわけだ。それも、一応は知識を売り物にしている人たちの中に。
 
 Chaseによる批判はシンプルだ。日本人は鉄砲を捨ててなどいない。鉄砲が使われなくなったのは戦争が終わったからであり、戦争が続いていれば鉄砲使用も継続されていた。江戸時代になっても諸侯は戦時には銃を一定数提供するよう定められており、手元に火器を保持していた。また秀吉の刀狩によって平民から武器を奪う政策が行われたが、この武器は銃だけではないし、また狩猟などのための火器は規制の例外とされた(p195)。日本人が鉄砲を捨てた歴史などペリンの脳内にしか存在しなかったわけだ。
 こちらの掲示板"http://forums.samurai-archives.com/viewtopic.php?t=5716"にはConrad Totmanによるペリン本のレビューが紹介されている。基本的な問題点は1980年に書かれたこのレビューで既に指摘済みであり、日本語訳(1984年出版)が出る前から「よき議論の発展を疎外し、著者の目的にも上手く貢献しない間違った議論が行われていることは嘆かわしい」と言われていたのである。もう一度言うが日本人は江戸時代に入って鉄砲を捨ててはいない。武士だけでなく平民ですら鉄砲を手放さなかったという研究"http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11619"もあるほどだ。
 この本は江戸時代だけでなく戦国時代についてもとんでもないことを書いている。それは戦国時代に日本に数十万挺の銃があったとの主張だ。こちらの質問"http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14119786924"への回答を見てもらっても分かるが、当時の日本で動員できたであろう鉄砲の数は1万5000~2万挺ほど。欧州の単一国は上回れたかもしれないが、それでもどんぐりの背比べだろうと見ている。実際、1600年ごろに欧州で人口最大だったのはフランス"http://www.tacitus.nu/historical-atlas/population/westeurope.htm"だが、その数は2000万人ほど。日本は最近の推計だと1500万~2000万人程度とされており、人口だけなら欧州強国に近い水準。銃の数で欧州トップクラスに並ぶことは可能だっただろうが、桁違いに多いと考えるのは無理がある。
 世の中には読んでいる本の数を自慢する人がいるんだが、いくら数を読んでも中身がでたらめでは本当の知識にはならないだろう。本の伝える知識がどこまで正しいのかについては、自分で注意するしかない。もちろん本だけでなく、これはあらゆる情報について当てはまることだ。トフラーの言う第3の波(情報革命)が訪れている時代だからこそ、よりリテラシーが重要になっている。ペリンの本は言及する人のリテラシーを測る「リトマス紙」としては優れものなのかもしれない。
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