アイラウの駄洒落

 前回の話に関連し、フレーフレーではなくロシア軍のウラーに関するちょっとした逸話を紹介しよう。
 
 アイラウの戦いで第7軍団に所属する軽騎兵旅団の中に、第20猟騎兵連隊がいた"http://fr.wikipedia.org/wiki/Ordre_de_bataille_lors_de_la_bataille_d'Eylau"。この連隊には弱冠20歳のパーキンが参加しており、彼の残した回想録"https://archive.org/details/souvenirsdegloi00goog"にもアイラウでの体験が書かれている(p78-84)。午前中に叩きのめされた第7軍団の歩兵部隊とは異なり、彼ら騎兵部隊は午後も戦闘を継続していた。その中に以下のような記述がある。
 
「午後2時頃、数多くの[敵]騎兵の塊が、雪とぬかるんだ地面によって他の歩調が出来ないため、並足で移動を始め前進してきた。敵はウラーという叫びを響かせていた。何人かの猟騎兵が、その言葉の発音であるウラー(au rat)の駄洒落として『オーシャ(Au chat)!』と叫び返した。意味が分かるとすぐにその言葉は連隊の右から左まで伝わった」
p80
 
 Ураをフランス語で似た発音になるau rat(ネズミへ、ネズミの)と見なし、それに対してau chat(ネコへ、ネコの)と言い返した訳だ。極めて緊張を強いられる状況下におけるとっさの切り返しだと考えれば、結構うまい。もちろん、ロシア兵にはさっぱり分からなかった(フランス語をよく使っていた貴族階級の士官たちなら分かったかもしれない)だろうが、自分たちの意気を上げるにはちょうど良かったのだろう。
 ちなみにこの後、第20猟騎兵連隊のキャステクス大佐は部下に対し、カービン銃の弾を込めているかと問いただし、そのうえでカービン銃を構えさせた。そしてロシア軍が6歩の距離まで接近したところで「撃て!」と命じている。並足でゆっくりと接近することしかできなかったロシア軍騎兵にとって至近距離からの斉射はかなり致命的だったようで、結局彼らは大きな損害(退却時の損害も含め少なくとも300騎とパーキンは見積もっている)を出して逃げだした。
 
 実のところ、フランス語でも英語同様、hourraよりhouzzaあるいはhuzzaの方が古くからあった表現のようだ。少なくとも1718年出版の辞書"http://books.google.co.jp/books?id=yF9KAAAAcAAJ"にはHuzzaの項目があり「喜びの叫びで、英語で使われていた」と書かれている。フランス語文献でHouraと書かれている例もナポレオン戦争以前、1742年に出版された本にあるが、これも英国に関連した文脈で出てくる("http://books.google.co.jp/books?id=K6i-6SBy3NsC"のp58)。
 それがロシア軍と結びつくようになったのはナポレオン戦争がきっかけかもしれない。ロシア遠征について書かれた本"http://books.google.co.jp/books?id=zTgZ_NkTVScC"(英訳本"http://books.google.co.jp/books?id=FGJBAAAAIAAJ")の中には、コサック兵がhourraと叫んでいる描写がなされている(p126)。面白いのはこの時点で既にこの叫びについて「タルタル人が敵を攻撃するとき、常に使っていた」とされている点だろう。タルタル人は要するに遊牧民全体を指す言葉であり、つまりモンゴル由来説はこのころからあったと見られる。
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