残る嘘、消える事実

 歴史に関する面白い話があるblogに載っていたので紹介しよう。第二次大戦で沈められた英国の空母グロリアスの件だ("http://blog.livedoor.jp/pertinax/archives/52388050.html"と"http://blog.livedoor.jp/pertinax/archives/52388616.html")。第二次大戦において英国海軍が最大の死者を出した"http://www.spectator.co.uk/books/20372/the-price-of-admission/"この戦いについて、どのような史実が隠され、そして暴かれたかが書かれている。
 グローリアスがノルウェーの戦いで沈んだ件については、その昔某雑誌の記事でほんの一言だけ触れられていたのを見たことがあったので、事実としては知っていた。だがその当時はこの件についてまだ表に出始めたばかりの時期だったため、記事中にはこんな話は全く触れられていなかった。
 空母グローリアスについては幸運にも隠された史実が明らかになった。あるいは日本海海戦前に連合艦隊が北進の準備をしていた件については、これまた幸運にも宮内庁に残された「極秘明治三十七八年海戦史」にはっきりと書かれていた(レファレンスコードC05110083400、33-37/37)ため、それまで当局が隠していた史実が明らかになった。blogの著者が、それなりの期間は嘘が通じても「それも永遠には無理」としているのは、実際にこうした事例があるからだろう。
 
 でも常に隠された史実が明らかになる保証はない。嘘をつき、隠蔽しようとする動きが出てくるのは、上手く嘘が通ってしまうことがあるからだ。さらに問題なのは、嘘が当事者にとってというより嘘を聞く者にとって「聴こえの良い」ものである場合に、聞き手が容易に嘘を受け入れ事実に背を向けてしまう傾向があること。残念ながら世の中は、小説やドラマのように虚偽が常に敗れ真実が勝つようには出来ていない。現実は不条理なのだ。
 例えばマレンゴのドゼー。現代に至っても英語wikipedia"http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Desaix"では彼が「イニシアチブを取って」砲声へと行軍したと書いている。日本語wikipedia"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%BC%E3%83%BC"も砲声を聞いて「進軍を停止した」と、信頼度の低いサヴァリー回想録をそのまま採用している。
 この件については、別に事実が隠されているわけではない。ブーデ"http://www.simmonsgames.com/research/authors/Cugnac/ArmeeReserve/V2C8French.html"やダルトン"http://www.simmonsgames.com/research/authors/Cugnac/ArmeeReserve/V2C7French.html"の報告は100年以上前に出版された本に堂々と掲載されているし、確認しようと思えばいつでもできる。だがそれらの文献より閲覧数が多いであろうwikipediaの「嘘」の方が広まっているのが実情だ。
 イエナ=アウエルシュテットの戦いにおけるベルナドットの行動も同じ。直近の某雑誌にも単純にベルナドットを批判しただけで終わらせている記事が載っていた。紹介されていた参考文献はChandler以外にMaudeもあったが、記事の内容を見る限りMaudeはまともに読んですらいないと思われる。もっとはっきり言ってしまうと10年以上前に同じ雑誌に書かれた記事(この本"http://www.amazon.co.jp/dp/4059010235"に収録されている)をコピペしたような内容だった。
 ちなみにこの雑誌記事ではアウエルシュテットではなく終始「アウエルシュタット」と書いている。だが1806年のドイツ語新聞"http://books.google.co.jp/books?id=B6k9AAAAIAAJ"を見るとAuerstedtとある(p1271)し、同じ1806年出版のドイツ語本"http://books.google.co.jp/books?id=UQm_cQAACAAJ"の題名もAuerstedtだ。また大陸軍公報をまとめて1807年に出版された本"http://books.google.co.jp/books?id=k1pSAAAAcAAJ"ではAuerstaedtとなっており(p258)、いずれも「アウエルシュテット」と表記した方が近いと思われる綴りだ。ちなみに現在もこの町の名称はAuerstedtである"http://www.bad-sulza.de/de/node/36"。
 ではどこから「アウエルシュタット」という言い回しが出てきたのか。実は1809年にはフランス語文献"http://books.google.co.jp/books?id=64UcAQAAMAAJ"の中に早くもAuerstadtの表記が登場している(p2723)。同年に出た別の本"http://books.google.co.jp/books?id=nzpDAAAAcAAJ"にAuerstädtと書かれているところを見ると、かなり早い段階でウムラウトが脱落したのではないかと思われる。そしてそれが広まった結果、アウエルシュタットとの言い回しが多く使われるようになったのだろう。例えばChandlerもCampaigns of Napoleon"http://books.google.co.jp/books?id=hNYWXeVcbkMC"で「アウエルシュタット」とやらかしている(p497)。google bookで"battle auerstedt"と検索すると引っかかるのは1720件。"battle auerstadt"の17000件より圧倒的に少ない。
 
 閑話休題。さてこのように読み手が好む物語が普及するとどうなるか。時間が経過するとやがて史料が散逸し、失われるものが増えてくる。実際、ナポレオン戦争はまだしも中世の戦争になるとろくに史料が残っていないものが多いし、古代になるとアレクサンドロスの事跡のようにほぼ数百年後の二次史料に頼るしかないものも出てくる。そして、残る確率が高いのは歴史的に見て妥当な史料というより、広く人口に膾炙し大量にコピーが残されたであろう文献、強いミームを持つ文献だ。ミームの強さと書かれていることの事実性とは相関しない。
 当事者の思惑と聞き手の好みがいつも一致するとは限らない。だから当事者が思い描いた通りの嘘が通用することも、逆に通用しないこともあるだろう。でも聞き手がしばしば自らの嗜好を優先し、史実を簡単に無視するのは事実。結果として嘘の物語が事実として後々まで語り継がれ、やがてそれが嘘である証拠の方が先に散逸し失われてしまう。そうなればもはや手の打ちようがない。残された史料にしか頼れない後世の人間たちにとっては、嘘の物語こそが史実になってしまう。
 歴史とはそういうリスクを含んだものだ。だから「歴史に学べ」という言説に対しては眉に唾をつけておくべきだろう。「嘘を信じろ」と言っているのと同じである可能性が常につきまとうからだ。嘘を信じて得することはほとんどない。孫子曰く「知彼知己者、百戦不殆」"http://kanbun.info/shibu02/sonshi03.html"。嘘を信じる人間は「敵を知ろうとしない」人間であり、つまり好んで自らを危険に晒しているのである。
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