元帥の病気

 前回の話について落穂ひろいをいくつか。アイラウに関するベンニヒゼンの回想録はあちこちで見かけるが、こちら"http://labataille.us/titles/eylau.shtml"には回想録ではなく戦い後に書かれた報告書、及び公式記録の英訳が載っている。報告書の英訳はこちら"http://books.google.co.jp/books?id=KwNcAAAAQAAJ"のp31-32でも確認可能。ただ公式記録については、こちら"http://books.google.co.jp/books?id=_D0oAAAAYAAJ"のp449-466に書かれているセント=ペテルスブルクの新聞から引用した文章とは、微妙に異なっている部分もある。
 ベンニヒゼンの回想録"http://www.worldcat.org/title/memoires-du-general-bennigsen/oclc/458419736"のうち、アイラウ部分についてはこちら"http://www.histoire-empire.org/1807/eylau/temoignages/membennigsen.htm"がまとまったものと言えるだろう。他にロシア側の史料としてはエルモロフ"http://books.google.co.jp/books?id=3bt9AwAAQBAJ"とかダヴィドフ"http://books.google.co.jp/books?id=vaOfAAAAMAAJ"、ウィルソンのものがあるんだが、このへんについては過去の記事"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/11916508.html"でも紹介している。
 うちエルモロフの回想録でアイラウに触れている部分はp83-89あたりだ。ウィルソンが1810年に出した本"http://books.google.co.jp/books?id=wU1KAAAAcAAJ"だとp96-109に、彼が本国へ記した報告書はこちらの本"http://books.google.co.jp/books?id=I80JAAAAIAAJ"のp408-412で見ることができる。面白いことにウィルソンは当初、レストクを追撃していたネイ軍団をベルナドットの部隊と勘違いしていた(p410)。だが1日後には訂正した報告を書いている(p412)ので、捕虜当たりから情報を得たのかもしれない。
 ロシア側ではなくプロイセン側の史料もあることはこれまでに指摘しているが、内容面ではレストクに関する記述が詳しい点くらいしか目立つものはない。例えばPlothoの本"http://books.google.co.jp/books?id=RXZKAAAAYAAJ"では、漫画に登場している第7軍団の攻撃について、ロシア軍中央が「親衛隊とオージュロー元帥の軍団から激しく攻撃されたが、この企図は無駄に終わった。ロシア軍の戦線は揺らがなかった」(p71)という程度しか書かれていない。こちらの本"http://books.google.co.jp/books?id=nh9YAAAAcAAJ"に至ってはオージュローがアンジュロー(AngerauまたはAngereau)になってしまっているくらいだ。
 流石にHöpfnerの本"http://books.google.co.jp/books?id=l74TAAAAYAAJ"はもっと詳しく、p240にオージュローの攻撃が吹雪のせいで道を見失ったことなどが書かれている。ちなみにHöpfnerによればオージュロー軍団の前進はダヴーと協力してロシア軍左翼を迂回しようとするものだったとなっており、フランス側の説明(ダヴーの前進を支援するための陽動)と微妙に異なる。いずれにせよ、できればこれにMikhailovsky-Danilevskyの本"http://books.google.co.jp/books?id=BQgKAAAAIAAJ"まで入れられればかなりバランスの取れた話が分かるのだろう。が、やはりキリル文字は厳しい。
 
 オージュローが病気だったことは大陸軍公報にも書かれている。2月下旬に出た第63号の中で、アイラウの戦いにおいて彼がリューマチの痛みに苦しみほとんど意識を失っていながら、砲声を聞いて自らの身体を馬に縛り付けて軍団の先頭に駆けつけたという話が載っている("http://books.google.co.jp/books?id=F7VOAAAAcAAJ"のp14、英訳は"http://books.google.co.jp/books?id=Uco-AAAAYAAJ"のp200)。公報をどこまで信じられるかは難しいところだが、体調が悪かったのはおそらく事実だろう。
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