中世が終わり近代が訪れると、もはや建前上の封建的軍務すらほとんど姿を消す。封建諸侯から独立的な権力を奪ってしまえば、もう彼らを通じて軍を集める必要もなくなる。旗本は常備軍となり、戦時に必要となる戦力は傭兵で賄う仕組みが欧州では一般的になる。その傭兵も最初のうちは封建領主が傭兵隊長となって兵隊集めを仲介するケースが目立つが、三十年戦争が終わる頃にはその仕組みもなくなり国家が直接兵を集めるのが当たり前になる。中間層である封建領主をすっ飛ばす動きが強まるのだ。
地方に割拠していた封建領主はやがて首都に「集住」し宮廷貴族となる。日本ではその途中で戦争が終わったため参勤交代という中途半端な封建制が残ったが、欧州の宮廷貴族たちは不在地主化しその権力は地域にではなく王宮に由来するようになった。
国家の効率は高まり、絶対王政の軍は中世に比べて大幅に増加する。だがそれでも効率向上の流れは留まらない。この時点で君臨すれど統治しない国王を持つ英国が、財政=軍事国家"
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0465-6.html"として成功したことは大きな意味を持つ。国家組織を動かす官僚制と、それを支える経済力があれば、国王はいなくても効率のいい政治体制は構築できるのだ。いやむしろ恣意的な介入権限を持つ絶対君主は、効率性にとって邪魔だとすら言える。
かくして既に穀潰しと化していた貴族たちとともに国王もまた実権を奪われていく。個人ではなく抽象的なネーションこそが主権の持ち主となり、ネーションに忠誠を誓う国民たちまで軍務に動員される。戦争の歴史には、実はこうした背景があると考えられる。
以上はあくまで個人的な思いつきだ。実際にはInner Zoneはどうだったのかとか、武器の発展(特に火器)が歴史の流れにどんな影響を与えたかなど、他にも考えてみたいことが色々ある。ただ全体として、西欧であれ日本であれOuter Zoneでは割と似通った歴史の流れがあるように思える。
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