日本版イェーガー

 検証長篠合戦"http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b180953.html"に関する話の続き。「戦争は数」という原則を火器ほどはっきり証明するものはないだろう。長篠もそうだし、火器の登場後に少数精鋭の貴族が没落し、凡庸だが圧倒的多数の大衆が力を持つようになった西欧の流れもそれを示している。単に引き金を引く頭数が重要なだけではなく、銃、弾丸、火薬といった一連の物資をどれだけ大量に用意できるかという生産力の面でも数字がものを言うようになった。
 武田が鉄砲そのもの、及び弾薬の調達に悪戦苦闘していた点は、まさに火器が広まっていた時期に西欧の権力者たちが直面した苦悩と同じである。欧州では火器が伝わって1世紀の経過しないうちに硝石を作る「作硝丘」がニュルンベルクで操業を始めた(世界を変えた火薬の歴史"http://www.amazon.co.jp/dp/456204912X" p135)。もちろんそれだけでは戦争による需要に追いつかず、どの国も輸入を含めて様々な方法で火薬を求めた。その過程で硝石製造は工場のようになり、また硝石が取れる所有地に国家が入る権限を持つなど政府権力の増大にもつながった。戦争がインセンティブになり、より効率的な近代国家が作られるようになったのだ。
 戦争に勝つためにより効率的な組織を作ろうとする動きが戦国大名の間で見られた点も、検証長篠合戦には指摘されている。分かりやすいのが旗本鉄砲衆の形成だろう。大名直属の常備軍的な存在である旗本を鉄砲で武装させる方法は、織田だけでなく武田でも見られたと著者は指摘している。織田の旗本は長篠では別働隊と同行していた(p55)ため、主戦場では数が限られていたようだ。一方、武田にも旗本鉄砲衆が存在したことを示す史料がある(p104-105)。封建的な動員方法以外の兵力を、どちらの戦国大名も手元に持っていたのだ。
 面白いのは、武田だけでなく北条でもそうらしいが、上級家臣になるほど「本領に屋敷を構え、農業経営に自らも携わりながら(中略)地域支配を行うという在地領主としての性格を(中略)保持していない」(p193)ことだ。彼らは遠隔地の知行から収入を得ていたのだが、それの裏づけとなるのは武田家の権力、武力だった。つまり戦国大名でも上級家臣たちは西欧における「宮廷貴族」と同様のものになっていたわけだ。ローカルな実権を持つ封建領主ではなく、国王の権力にぶら下がることで自らの地位を確保している廷臣層が生まれていたことになり、このあたりも西欧の動きと似ている。
 封建領主の廷臣化、常備軍たる旗本の充実といった方法で効率的な支配システムを構築し、戦争に勝ちやすい体制作りを目指した戦国大名だが、西欧とは異なる方策を模索したと思える部分もある。長篠後に武田が打ち出した対策の中にある「命中率をあげる」(p129)という方針だ。西欧の火器は命中精度をある程度諦め、大量の銃弾を一斉射撃する方向にシフトしていったが、武田の発想は逆だった。というか全体に日本の鉄砲は命中率を重視したといわれている。
 しかし命中率を上げるのは言うほど簡単ではない。前に述べたように戦いは矢軍から始まるため、銃手はまず最初に戦闘に巻き込まれる。当然ながら「合戦では、鉄砲・弓衆の死傷率が必然的に高くなる」(p130)。だから絶えず新兵を補充することになり、命中率も当然上がらない。上げるためには訓練が必要になるが、訓練のためにもまた多くの弾薬が必要になる。弾薬不足を命中率で補うために弾薬が必要になるという皮肉な状況が生まれてしまうのだ。武田はこのジレンマに悩まされた。
 では逆に命中率を諦め、西欧方式を採用したらどうなるだろうか。確かに訓練のための弾薬は少なくて済むが、代わりに戦場では大量の弾薬を消費する覚悟が必要になる。何しろ文字通り「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」方式を採用しているわけで、弾薬不足で苦悩している権力者にとっては問題は全く解決されないことを意味する。結局、手元にあるリソースを見ながらどれが最善手なのか悩みながら選択していったのが実情だったんだろう。
 
 後は落穂拾い的な話を。鉄砲は戦国時代の軍隊だけが使ったわけではない。猟師たちにとっては日常生活で大いに役立つ道具だったため、やはり早いタイミングで広まったとされている。実際、戦国大名が記した書簡にもそうした話が載っている(p82-83)そうで、鉄砲の歴史を単に軍事だけに絞ると欠落する部分が出てくることを示している。
 そして猟師が銃を持っているなら、それを軍事的に活用してやろうという動きも当然出てくる。甲陽軍鑑や三河物語にはそうした話が紹介されているそうで、つまりこれは日本版のイェーガーやシャスール(猟兵)だ。同じ行動は西欧でも見られるもので、このあたりも同じOuter Zoneとしての共通項なのかもしれない。
 もう1つは鉄砲伝来の話。種子島へのポルトガル船到着より前に中国製の火器が日本に伝わっていた可能性について、著者は肯定的に見ている。これらの火器は贈答品として珍重されたが、銅を原料とした鋳造だったため数発撃てば銃身が焼きついて発火したという(p79-81)。つまり実用性において問題を抱えており、実戦での使用には限界があったようだ。
 それに対してポルトガルから伝わり日本で普及した火縄銃は鍛鉄を使っており、中国火器より武器として優秀だった。種子島への伝来以降に「原始的手銃が忽然と消えてしまう」(p81)のはそうした理由があったためであり、その裏づけとなるのは朝鮮役後に明で急速に日本製の火器が普及し中国古来の火器を駆逐したという史実だ。より優れた武器が出てくれば短期間で古いものと取って代わるのは、別段珍しいことではないのだろう。
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