「ボヘミアの伍長」は英語由来か

 詳しくない時代だが、こちら"http://togetter.com/li/701872"で言及されている「ボヘミアの伍長」という訳しかた及び淵源について、少し調べてみた。
 
 まず伍長という訳語が不適切ではとの指摘は、おそらく正しい。ドイツ語wikipediaでは第一次大戦中の階級について、Gefreiterを下士官"Unteroffiziere"ではなく兵卒"Mannschaften"に含めている"http://de.wikipedia.org/wiki/Dienstgrade_des_Deutschen_Heeres_(Deutsches_Kaiserreich)#Mannschaften"。こちらのサイト"http://www.agw14-18.de/selbzeug/dienstgrade.html"でもGefreiterは兵卒のところに書かれている。
 Liberty or Equality"http://books.google.co.jp/books?id=icap6yCQx1gC"は「ヒトラーの階級であった"Gefreiter"は伍長ではなく"Private First Class"である。英語訳の"Lance Corporal"は米人著者の誤訳だ」(p362)と指摘。ヒトラーの上官だったヴィーデマン大尉は、部下の兵士たちから極めて嫌われていたこの未来の総統を、決して下士官にはしなかったと書いている。こうした文章を見る限り、Gefreiterを伍長と訳すのに問題があるとの指摘は当たっていそうだ。ただし断言はできない。いろいろと探してみたが同時代(第一次大戦期)の史料による裏づけが見つからなかったからだ。
 それではなぜ「米人著者」はGefreiterをCorporalと翻訳したのか。1887年に出版されたBrockhaus' Conversations-Lexikon, Sechzehnter Band."http://books.google.co.jp/books?id=N80fAQAAIAAJ"の下士官"Unteroffizier"の項目にヒントがあるかもしれない。そこには「いくつかの軍ではObergefreitenとGefreitenも下士官に含む」(p51)と書かれている。そうした知識を持っていた人物が、Gefreiterという文字を見て下士官に違いないと思い込んだ可能性があるのではなかろうか。
 
 だが「ヒトラーがキイパーソンになってから、英語で『ボヘミアの伍長』という蔑称が生まれたのではないか」「それが、ドイツに逆輸入されたのではないか」という主張については、正直裏づけは発見できなかった。というかむしろ逆の結果になった。
 上に紹介したLiberty or Equalityでは「ヒンデンブルクは繰り返しヒトラーについてböhmische Gefreiteと言及していた」(p362)と記している。そしてそのソースとして示しているのが1934年にチューリヒで出版されたKonrad HeidenのDie geschichte des nationalsozialismus bis hebst 1933"http://books.google.co.jp/books?id=FVobAAAAMAAJ"だ。確かに同書p78にはböhmischen Gefreitenの文字がある。
 もっと重要なのは同じ年にパリで出版されたWeissbuch über die Erschiessungen des 30. Juni"http://books.google.co.jp/books?id=CJrRAAAAMAAJ"である。そこにはシュライヒャー将軍とマイスナーの前で大統領(ヒンデンブルク)が「プロイセンの将軍として名誉にかけて君に約束しよう。この"böhmischen Gefreiten"は決してドイツ首相にならない!」と語ったことが記されている(p103)。ヒンデンブルクからこう言われた人物は、おそらくナチ左派のグレゴール・シュトラッサーだ(後述)。
 それに対し、英語の"bohemian corporal"がヒトラーを指して使われた事例として最も古いのは、私がgoogle booksで探した限り1935年にならないと見つからない。1つはA history of national socialism"http://books.google.co.jp/books?id=O187AAAAMAAJ"(p194)だが、これは見ての通りHeiden本の英訳である。またHindenburg and the Saga of the German Revolution"http://books.google.co.jp/books?id=-qEqAQAAMAAJ"(p312)という本も同年に出版されているが、これまたEmil Ludwigが同年に出版したドイツ語本の英訳だ。
 そもそも1930年代に出版された英語本の中ですら、"böhmischen Gefreiten"がヒンデンブルクの言葉だと明言しているものがある。Poison in the air"http://books.google.co.jp/books?id=7GTPAAAAMAAJ"に「ヒンデンブルクがヒトラーを『ボヘミアの伍長』と呼び習わしていることは、誰もが知っていた」(p224)と書かれているのがそれだ。
 ヒンデンブルクがそう話したのをシュトラッサーが聞いている、と証言しているのはグレゴールの弟オットー・シュトラッサー。彼が書いた回想録Mein Kampf"http://books.google.co.jp/books?id=1C8fAAAAMAAJ"(何ちゅう題名や)には、ヒンデンブルクが"böhmischen Gefreiten"という言葉を口にしていたことが言及されている(p77など)。回想録をそのまま信じるのは拙いが、この件については1930年代に出版された文献を裏付ける格好になっているため、信頼度はより高いだろう。
 つまり先にドイツ語の"böhmischen Gefreiten"があり、それが英語に輸入されて(同時に誤訳されて)"bohemian corporal"になったと考える方が辻褄が合うのだ。そうではなく英語からドイツ語に逆輸入されたと主張したいのなら、ヒトラーに対してbohemian corporalという言葉が使われたもっと古い例を探し出して提示する必要がある。
 
 ちなみにヒンデンブルクがオーストリア出身のヒトラーに対して「ボヘミアの」と呼んだ理由は、HeidenのAdolf Hitler"http://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=IwMbAAAAMAAJ"によれば、彼がヒトラーの出身地であるオーストリアのブラウナウ=アム=イン"http://de.wikipedia.org/wiki/Braunau_am_Inn"をボヘミアのブロウモフ"http://de.wikipedia.org/wiki/Broumov"(ドイツ語読みはブラウナウ)と勘違いしたためらしい(p288)。
 そして、実際にはヒンデンブルクだけが間違えたわけでもないらしい。1930年にDie Weltbrühneという雑誌にDer Pabst"http://gutenberg.spiegel.de/buch/1945/103"という文章を載せたCarl von Ossietzkyは、その中で「(チェコスロヴァキアの)ブラウナウから来たアドルフ・ヒトラー氏」という言い方をしている。ヒトラーがボヘミア出身であるという勘違いが、彼の政権奪取以前からドイツ国内に存在していたことが分かる。
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