マネーボールと経済学

 フランス人の経済学者、トマ・ピケティの書いた本"http://www.msz.co.jp/misuzu/piketty_forthcoming/"が話題になっている。米国では分厚い専門書としては考えられないほどの売れ行きを示し、そしてまた買われているが読まれていない本ランキングでも堂々の1位となっている"http://yukan-news.ameba.jp/20140708-4736/"。
 英語版で700ページ近い大部だが、実は内容はシンプルだとの指摘がある。訳者の1人はあらすじをごく短くまとめている。即ち「各国で、富の格差は拡大」しており、その理由は「経済成長より資本の収益率のほうが高い」ためで、「対策としては、世界的に資本の累進課税をしましょう」"http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20140711/1405091495"。同じ内容を先日の東洋経済の特集"http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/20140722"でも指摘していたので、おそらくここに書かれている通りのシンプルな内容なんだろう。
 ではなぜそれがこんなに長い本になったのか。それはこの理屈を「各国の細かい統計を見て長期にわたり細かく精緻に追った」ためなんだそうだ。要するに「非常に専門的で technical な本」。そりゃ買ったけど読まれない本のトップにもなるわな。しかも本だけでは収まらず、ネット上にtechnical appendix"http://piketty.pse.ens.fr/en/capital21c2"を掲載しているほどであり、早速FTとの間でテクニカルな議論をしたらしい(クルーグマンがまとめている"http://truth-out.org/opinion/item/24271-a-failed-critique-of-piketty")。専門家が難しい話を論じている局面と見ればいいんだろう。
 という訳で日本語訳者は「気軽に読んで、気軽につまみぐいして知ったかできるような本ではない」と指摘したうえで「我が国における格差の研究や議論も飛躍的に発展することを祈ってやみません」と書いている。あくまで学術書として学術的に取り組むべき本ってことなんだろう。でも面白そうだから買うかもしれない。
 
 それにしてもどうしてそんな堅苦しい本が米国で売れまくったのか。格差が問題になっているからというのが一般的な説明だが、それだけじゃないような気もする。ピケティ本の最大の特徴は3世紀にわたるデータに裏付けられた議論をしている部分なんだが、そうした数字まみれの本を受け入れやすい素地が米国に存在していたから、とも考えられるんじゃなかろうか。つまりマネーボール効果だ。
 マネーボールつまりSABRmetricsの嚆矢は1970年代に遡るが、それが実際にMLBに取り上げられるようになったのは1990年代の後半。stats geekの考えが実際に効果があると認識されるまでにそれだけの時間がかかったのだ。もしピケティの本が1970年代に出版されていたなら、そういう面からもあまり注目を集めなかった可能性がある。
 だがSABRmetricsはアスレチックスの成功などを通じてその効果を大勢の人に見せつけた。結果、MLBの貧乏チームだけでなくレッドソックスのような金持ちチームまでが同手法を採用。さらには野球以外の分野にも同じアプローチを採る動きが広がり、今やスタッツを通じたゲーム分析とチーム強化は多くのプロスポーツチームが当たり前に使う方法となった。競争で勝ち残るうえで効果があると分かっている方法には誰もが飛びつくのである。
 あるいはNate Silver"http://fivethirtyeight.com/contributors/nate-silver/"のような人物が脚光を浴びているのも、こうしたデータ重視の分析が実効性を持つことを彼が示したからだ。大統領選における圧倒的な的中率を見て、Silverの数字オタクな話に多くの人が耳を傾けるようになった。そうした背景があったからこそ、「過去3世紀のデータにより実証された」という部分に多くの米国人が引き寄せられたように思える。過去の経済学はデータではなく数式で議論を進めていたが、データの方が実効性が高い事例が多い時代の人間にとっては数式よりデータの方が魅力的に見えた可能性がある。
 逆に言うなら、これまでの経済学者がデータ分析の部分で読者を満足させるだけの取り組みをしてこなかったことを映している可能性もある。現実と整合性が取れるかどうか分からない数式より、現実を反映したデータに基づく分析を。そうしたニーズの高まりにちょうどこの本がマッチしたのかもしれない。
 今後はよりデータ重視の経済分析が進むことを、個人的にも期待したい。そもそも経済学の研究対象は経済そのものなのだから、実際の経済がどのように動いているかを観測し調査するのは当然だろう。数式を含めた理論構築に進むのは、現実の分析を十二分に進めた後でもいいように思う。ピケティ自身も本のイントロで、富の分配を巡る議論が「多くの偏見とわずかの事実に基づいて」行われたと言っている"http://median-voter.hatenablog.com/entry/2014/05/10/115302"。これからの経済学者は、おそらくこの批判に答えていく必要があるだろう。
 
 そういえばモリスも歴史分析を進めるうえで過去のデータをネットにまとめ、書籍以外で閲覧できるようにしていた"http://ianmorris.org/docs/social-development.pdf"。ピケティは経済学、モリスは歴史学と研究対象は異なるが、アプローチとしてデータ化、数値化の手法を取ろうとする動きが共通して見られるのは面白い。もちろん多量のデータを容易に扱えるようになった技術の進歩があったからこそできる取り組みではあるが、これからは色々な学問分野でこうしたアプローチが増えていくのかもしれない。
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