Johnny he got shot in the leg,
Hurrah! hurrah!
Now he goes on a wooden peg,
Hurrah! hurrah!
He lost his eyes, he lost his nose,
He bit off his ears, and lost all his toes,
Johnny I Hardly Knew Yeで使われるYe haven't an arm, ye haven't a leg, Ye're an armless, boneless, chickenless eggという歌詞は、確かにこのあたりからヒントをもらったと考えてもおかしくはない。
それにJohnny I Hardly Knew Yeが19世紀には反戦歌として認識されていなかったことは、1874年に出版された雑誌"
http://books.google.co.jp/books?id=htMhAQAAMAAJ"の記事からも裏付けられる。そこではダブリンの有力者の息子を描いた風刺画に"Johnny, I hardly knew you!"というフレーズが添えられることで「より面白くなっている」としたうえで、このフレーズについて以下のように説明している。
「[このフレーズは]低俗な歌から引用したもので、そこでは『ジョニー』と呼ばれる兵士が妻子から逃げ出したこと非難され、彼本来の温和な外見に似合わない軍服を着た姿の奇妙さをからかわれている」
p783
Johnny I Hardly Knew Yeが反戦歌などではなく、妻子を捨てて「一目散に逃げる」"skedaddle"ような無責任な若い男を茶化した曲と見なされていたことがはっきりと言及されている。「ジョニーが凱旋する時」が作曲された10年以上後にそう書かれているのだから、「反戦歌の歌詞を変えた」というギルモアへの批判は全く妥当でないことになろう。
どちらの曲が古いか知らないまま「反戦歌を軍歌に変えるのはいかがなものか」と言ったり、元の言葉を確認せずに「拙速は巧遅に勝るんだから早くやれ」というのは、事実を知っている人間から見ると自ら恥をさらす行為に見えてしまうことが分かる。生半可な知識に基づいて決め付けるのはヤバいという意味で、まさに他山の石とすべきだろう。
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