10)フランソワ・レゴニエ
1740年カンタル県オーリアックに生まれる。56年に志願兵として軍に入り、七年戦争に参加してロスバッハで負傷した。61年には中尉、64年には大尉。革命後はパリの国民衛兵隊に入り、92年6月には中佐から大佐へと短期間で昇進。9月にはmarechal de camp(少将)、10月には中将と階級を駆け上った。
当初はピレネー方面軍にいたが1793年4月1日にベリュイエ麾下の沿岸軍に配属。4月上旬から始まった王党派軍に対する攻撃に参加し、11日にはコロンでストフレ率いる部隊を撃退するのに成功した。その後、レゴニエはゆっくりとショレへ接近したが、19日にショレ近くのパガンヌで再編した王党派軍の反撃を受けて敗退。他の部隊の敗北もあり、ドゥーエへの退却を強いられた。
攻勢失敗でベリュイエが指揮官の地位から離れたため、レゴニエが4月29日から5月27日まで臨時指揮官の地位に任じられる。Sixによると6月1日には一時職権を停止されたようだが、6月6日にはラ=ロシェル沿岸軍に所属する派遣議員の要請によって再びその地位に戻った。しかし、その直後から始まった王党派軍によるソーミュールへの進撃を食い止めることができず、解任される。
その後、東部ピレネー軍に転属したが、9月には公安委員会によって逮捕が命じられる。現地の判断でしばらく職務を続けたものの、1794年2月には拘束されて軍務を去る。95年には釈放されたものの、同年中に引退。1804年にトゥールーズの軍病院関連の役職に就いていたことは分かっているが、死亡年は不明。
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