ベルナドット問題に関する私の考えは上記に述べてきたようなものだ。つまり彼の判断は基本的にナポレオンの命令に従うことを目的に下されたものであり、彼が叛意や同僚への嫉妬から敢えてダヴーを見捨てるような行動を採ったと断言するだけの証拠はない。証拠として提示されているものは基本的に後の時代、ベルナドットがスウェーデン皇太子として対仏大同盟に参加した後に書かれたものばかりであり、1806年時点で彼に悪意があったと証明するには新しすぎる。この考えには現時点で変更はない。
だがそうではない意見の持ち主は今でもいるし、過去にもいた。その中には信頼度の高い戦史をまとめたフランスの参謀本部関係者も含まれている。例えば1806-07年戦役に関する史料を集めたFoucartはCampagne de Prusse, Iéna"
http://books.google.co.jp/books?id=l1pBAAAAIAAJ"の中で、「なぜ彼[ベルナドット]は[午後]4時半に副官トロブリアンから受け取ったダヴー元帥の要請に答えなかったのか。(中略)ベルナドットはこの状況において正直かつ誠実に行動しなかった」(p694n)とトロブリアンの報告を根拠にベルナドットを批判している。
Etudes tactiques sur la campagne de 1806"
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k121750t"を書いたBressonnetも同じ。彼は13日夜10時の時点でナポレオンがベルナドットのドルンブルク到着を望んでいたことは事実だが、「ダヴーにアポルダへ行軍するよう命令が届いた時に、ベルナドットがなおナウムブルクにいたのなら、彼が[主力軍の]最初の交戦と連携する時間に到着するのはもはやできないことが明らかだった。この場合、第1軍団は第3軍団と合流し、両軍団は一体となってアポルダを経て、皇帝がイエナに集めた戦力と交戦しているプロイセン軍の背後に行軍することの方が好ましくなった」(p306)と指摘している。
Bressonnetはベルナドットの行動に対し「同僚から分かれたいという望みが彼の中で全てに優先していたように見える」と記し、彼の動機について「疑わしい」(p306)との判断を下している。Bressonnetにとってベルナドットの行動は、ダヴーが受け取った命令に従ったものではないように思われたのだろう。
結局、問題の1つはこのダヴーが14日午前3時に受け取った命令にたどり着く。vous pourrez marcher ensembleという文章(Opérations du 3e Corps, p30)をどう解釈するかという文法も含んだ問題だ。上に紹介した通り、このpourrezはpouvoirの単純未来形であり、2人称の単純未来は一般に「軽い命令形」とされているが、実際には意味が広くて命令の他に勧誘、示唆、懇願まで含まれているらしい。Bressonnetはこれを命令の意味と取ったのだろう。
フランス人が揃ってそう解釈するのならそれでもいいんだが、そうでない解釈をする人間がいるから困る。その人物とはTiteux。Le général Dupont, Tome Premier"
https://archive.org/details/legnraldupontune01tite"の中で、彼はまず参謀長の命令が曖昧であることを指摘したうえで、「[ベルナドット]元帥がもしダヴー元帥と合流しているのなら、彼と一緒に行軍してもいいと彼[ベルティエ]は言いながらも、第1軍団指揮官がドルンブルクへ行くこと、即ち第3軍団から離れるよう動くことを希望すると表明している。そしてどんな軍事指揮官であれ、皇帝の望みは他の全ての考慮に優先された」(p362)と書いている。
要するにpourrezはせいぜい勧誘や示唆程度の意味しかなく、それとは別に皇帝の希望が書かれているからそちらに従うのも無理はない、とTiteuxは読んだのだ。ベルナドットは命令の内容からダヴーのアポルダへの前進路には何の危険もなく第1軍団の支援も必要ないと考え、13日朝9時の命令でも言われていたようにドルンブルクへ向かう方がナポレオンの表明した希望に沿うであろうと判断して、麾下の師団にドルンブルクへの出発を命じた、というのがTiteuxの見解だ(同)。
Titeuxだけではない。ナポレオン関連のサイトを主催しているパリ生まれのRobert Ouvrardも、ベルナドットは命令の精神と文言に従ったと解釈している"
http://www.histoire-empire.org/1806/auerstaedt/auerstaedt_bernadotte.html"。つまるところ、フランス人が読んでもこの命令は曖昧で両義的に解釈できるということだ。だとすればベルナドットの判断がどちらに転んでも、この命令だけなら「あり得ること」と解釈するほかない。彼の罪を問うには、彼の立場が命令はどうであれダヴーに同行するのが軍事的に見て正しい判断とされる状況にあった場合だけ。つまりダヴーの前にいるのがプロイセン軍主力であったことが明白な場合である。果たしてそこはどうだったのか、長くなったので以下次回。
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