ナポレオン漫画最新号はかなりあっさりとアウエルシュテットが終了。さらにリューベックまでの追撃戦もまとめて終了。簡単すぎるだろ。おかげでラサール将軍"
http://fr.wikipedia.org/wiki/Antoine_Charles_Louis_de_Lasalle"がはったりかまして活躍する場面がきれいさっぱりなくなってしまった。ここで頑張っておかないと後はヴァグラムの戦死シーンくらいしか出番が残っていない。これは拙いですぞ。
追撃といえばベルナドット軍団によるハレ攻略や、スールトやミュラも含めたリューベック攻撃なども完全省略。おそらくネイによるマグデブルク攻囲も描かれることはないだろう。もしかしたらダヴー軍団のベルリン入城くらいは出てくるかもしれないが、うまく行ってその程度だと思う。例えばプロイセン軍の後衛部隊を率いて奮闘したヨルクなど、連合軍側の連中もほとんど出る機会はないだろうし、イタリア遠征の頃に比べるとみんな扱いが寂しくなったもんだ。
その中でビクトルだけは相変わらず大物食いの機会を与えられている。と言っても実際に狙撃が成功したのは久しぶりじゃなかったっけ。確かトゥーロンでフッドを、ポー河近くでラアルプを、アクルでフェリポーを狙撃したのは憶えているが、その後はどうだったか。
食われた方のブラウンシュヴァイク公の負傷について、HöpfnerはDer Krieg von 1806 und 1807, Erster Theil. Erster Band."
http://books.google.co.jp/books?id=ZAcKAAAAIAAJ"で、「公がヴァルテンスレーベン師団の左翼にいるハンシュタイン擲弾兵大隊に[ハッセンハウゼン]村を奪うよう要請した時、彼は両目を撃たれ馬から落ちた」(p450)と記している。そのタイミングは、Höpfnerの説明によれば戦闘経過を5段階に分けた3段階目。PetreのNapoleon's Conquest of Prussia"
https://archive.org/details/napoleonsconque00petrgoog"に従うなら午前10時頃となる(p159)。まさに戦闘が佳境に入る頃であった。
ちなみに最終的にブラウンシュヴァイクの命を奪うことになった弾丸は「頭の右側から左側へと貫通し、右目の上端から指の幅分上を通って左目の眼角の内側を通った」(Hoepfner, p450n)そうだ。漫画では左から右へと貫通したように描かれているが、史実は左右が逆。右目はすぐに視力を失ったが左目はなおいくらかの光を見ることができたとあるので、公は自分の症状を説明できる程度の意識は持っていたと思われる。この時代には決して珍しくないが、恐ろしい爺さんだ。
「翌朝、彼[トロブリアン]は(戦場で眠った)ダヴー元帥によって、彼の輝かしい勝利をナポレオンに伝えるため皇帝の下に送られた。満足を感じながらも少し苛立っていた皇帝はトロブリアンに戦闘の状況を厳しく問い、その答えを待ちきれずに最後に『何と! 普段は物を見ていない君の元帥は、昨日は物が二重に見えたようだ』と叫んだ」
p433
アウエルシュテットの戦いから53年も後に口述されたフレーズをそのまま史実と見なすのは流石にいかがなものかと思う。いやもちろん漫画はフィクションだから問題ないんだけど、例えばThe Cambridge modern history, Volume IX"
https://archive.org/details/cambridgemodern09actouoft"(p277)で堂々とこの話を載せていたりするのはちと問題だろう。ソースも示していないし。その後も同様にソース不明のままこの話を紹介する本が多いのはご存知の通りだ。
なおこちらの書評"
http://www.amazon.com/review/R3UOOMXSQ52QMD"では、この台詞をナポレオンが言った相手をブルク大佐(Col Bourke)だとしている。おそらくVachéeのNapoléon en Campagne"
https://archive.org/details/napolonencampagn00vach"が元ネタであろう。そこにはブルク(Bourcke)がダヴーの勝利を伝えたことを紹介したうえで、「ダヴーの副官が大胆な元帥の敵の数を彼に伝えた時、ナポレオンは『いつもは何も見ていない君の元帥は、今日は二重に見えたようだ』と答えた」(p197)と記している。
Vachéeの書き方もあまりいいものとは言えない。確かに彼はナポレオンがこの台詞を言った相手を単に「副官」としか書いていない。だが直前までブルクの話をしたうえで、センテンスを切ることなしに「副官に話した」と言われれば、普通はブルクに言ったものと思うだろう。おまけにVachéeは元ネタであるトロブリアンが「昨日」としているところを勝手に「今日」に修正しているわけで、これはかなり悪質だと言える。
そもそもブルクが戦闘後、翌日午前2時にナポレオンの所にやって来てアウエルシュテットの話をしたと記している人物はセギュール。彼のHistoire et Mémoires、Tome Troisième"
http://books.google.co.jp/books?id=9hAQWhw8x5UC"に「ダヴーの士官であるブルク(Bourck)が彼を起こしに来た。彼はアウエルシュテットの勝利を知らせた」(p29-30)と書かれている。そしてVacheeはこのセギュールの本については脚注で紹介していながら、なぜかトロブリアンのソースであるBlocquevilleには全く言及していない。正直言ってわざと誤解させるような書き方をしたとしか思えないのだが、なぜそんなことをしたのかは不明だ。
セギュールの本は出版年が1877年。こちらは戦いから実に61年後であり、要するにセギュールもトロブリアンも史実と見なすには新しすぎる。他の裏づけがない限り額面通りに受け取るのは止めた方がいい。
「プロイセンの騎兵部隊をピストルの一撃で挑発したブルク大佐は、王妃騎兵連隊の2個大隊による突撃を力強く支え、少佐を含む何人かの捕虜を得た」
p34
目的を果たした彼は後続していた第25戦列歩兵連隊と合流。プロイセン軍前衛の攻撃に備えた。漫画と違うところは、ブルクが率いていたのがユロー大尉の指揮する第1猟騎兵連隊の分遣隊(p33-34)だった点。漫画では歩兵が士官に襲い掛かっていたが、あれが騎兵だったらかなり史実に近かったわけだ。
ただし、この捕虜を尋問して正面にいるプロイセン軍の正体をつかんだのかどうかは不明だ。14日の会戦終了後にダヴーが書いた報告書では、第3軍団と戦った相手が「プロイセン王、ブラウンシュヴァイク公及びメレンドルフ元帥」(Correspondance du maréchal Davout"
http://books.google.co.jp/books?id=XRJBAAAAYAAJ" p277)だと書いているので、戦闘後に敵の正体を知っていたのは間違いない。一方、前日夜にベルティエ参謀長に出した手紙(Campagne de Prusse, Iéna"
http://books.google.co.jp/books?id=TteUuMfR1_EC" p594)には、敵の哨兵に関する言及はあるものの、正面の敵がプロイセン軍主力であるといった記述はない。
つまりダヴーが正面の敵の正体を知ったのは13日夜から14日の間、実際にはおそらく漫画にあるように14日の朝になってからだと思われる。またそのソースが捕虜であった可能性も充分にあり得るとは思うが、残念ながらそれを裏付ける史料は見つけられなかった。漫画でダヴーが金槌を振り上げているシーンは、一応フィクションと思っておいた方がいいだろう。
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